11月5日午後に発表されたTPP協定全文を主要新聞こぞって報じていますが、メルマガ『uttiiの電子版ウォッチ』によると「各紙の取り上げ方が際立った違いを見せている」とのこと。なぜこのような事態になっているのでしょうか。内田誠さんが分析します。
TPP全文公表を各紙はどう伝えたか
今日のテーマは……。
公表されたTPP全文は、各国がホームページに掲載した英文版で600ページほど。付属文書を入れると1,500ページ超。日本政府は、日本語版の概要書および米国やカナダなどと2国間で結んだ交換文書も公表した。
この文書について、各紙の取り上げ方が際立った違いを示しています。
「群盲象をなぜる」の譬え通り、膨大な協定全文を前に、それぞれが触れた場所について別々の全体像を語っているかのようです。いや、正確には全体像を語っているのではなく、部分像しか見ていないのかもしれない。先日このメルマガにも記した「メリット/デメリット論」にも共通することですが、色々特徴を並べ立てたところで、本当に答えなければならない問いにはまだ答えていない。「色々あることは分かった。では、TPPとは何なのか?」という問いです。各紙はその問いに答えているのかいないのか、そのことに注意を払いたいと思います。
なぜこんな事を言うかというと、それは、TPPがまだ発効すると決まったものではないからです。日米のどちらかが批准しなければ、TPP全体が発効しない。これから国会その他で説明があり、条約の批准案が議論される前に、数々の議論やもしかしたら反対運動があり、TPPを争点とした総選挙を含む国政選挙があるかもしれない。TPPを始めるか否かは私たちが決めることなのです。そうであるならば、「全体としてのTPP」について判断を下さなければなりません。やるのか、やらないのか。そんなことを考えながら、以下、分析に入ります。
今日は、「TPP全文公表を各紙はどう伝えたか」です。
組み換え作物の情報共有ですって?
【朝日】は1面トップで「組み換え作物 情報共有」という見出し。リードは「『食の安全』から関心の高い、大豆などの遺伝子組み換え(GM)作物については、情報交換のための作業部会を造ることなどが新たに分かった」と書いていて、農水省によれば、「通商協定でこのような部会が造られるのは珍しい」という。
GM作物については、各国が「承認申請への必要書類の要件」「安全性の評価の概要」「承認された産品の一覧表」を公表し、未承認のものが僅かに混入した場合でも情報共有を進める取り決めを入れたという。
その他、「地理的表示」をめぐっては、米国産以外のバーボンウィスキーを日本で売り、日本以外で造られた日本酒などを米国で販売することを禁止するなど。
6面には、ISDS条項、食の安全、農業、著作権保護、医療に関してTPPがどう作用するか、「TPP懸念の答えは」との見出しのもとに各項目が整理されている。基本的には懸念は払拭されたか小さいものになったというトーン。ただし、著作権については、「保護期間の延長は、戦時加算が解消されるまで法改正に着手すべきではない」という福井健策弁護士の意見を紹介。著作権侵害の非親告罪化についても、2次創作への悪影響を払拭し切れておらず、「対象を海賊版に限るべきだ」という同弁護士の意見を引いている。
7面は全文の紹介に全面を割いている。
uttiiの眼
「組み換え作物の情報共有」とはなんとも持って回った言い方だ。ちょっとでも未承認のものが入ってきたら、「情報共有を進める」というのだが、実際にどのようなことが行われるのか、見当もつかない。責任を曖昧にしたこの種の表現に出くわしたとき、反射的に思うのは、「ああ、誤魔化そうとしているな」ということだ(《朝日》がではなく、政府が、だが)。
それに、この作業部会なるものは、GM作物の表示義務をなくし、アメリカが日本の市場開放を求めるためのテコに使われる可能性が高いのではないだろうか。アメリカからすれば、延長戦の舞台ということになるのではないか。
また、輸入国(日本のことだろう)の要請があれば、「輸出国でGM作物をつくる企業への情報共有を奨励する規定もある」と、《朝日》はちょっと嬉しそうというか、「こんなこともしてくれるんだ!」みたいな喜びのニュアンスが感じられるが、こんなもの、ただの空手形にしか見えない。「安全を気にする消費者にも配慮して、情報共有を深める場をつくったと言える」などと褒めそやすのは、まともな神経の持ち主ではないだろう。いや、これを書いている《朝日》の記者は、「GM作物は全く安全で問題がない」と信じているに違いない。「安全を気にする消費者」という言い方の中に、そのようなニュアンスを感じ取ることができる。その背景には、《朝日》が社として、TPPに賛成しているということがあるに違いない。
目指すは中国市場の開放?
【読売】は1面トップの見出しを「TPPに人権・環境規定」「概要公表 新加入国に『基準』」としている。他に、2面には、米国とカナダが日本車の輸入と金融に関して、自国に有利な条件を日本に認めさせたことについての記事(セーフガードなど)、9面には「中国への圧力」という側面を強調した記事、10面と11面見開きで日本語版「概要」をもとに、協定全体の紹介を行っている。
1面記事は、TPP協定が、関税撤廃や経済ルールの自由化に止まらず、「女性の社会参画」や「児童労働の禁止」、「環境保護の徹底」なども書き込んだところに特徴があり、他のアジア諸国が加わろうとしたときの、クリアすべき「基準」になるとする。
uttiiの眼
《読売》の徹底ぶりには驚く。実に特異なTPP感と言うべきだろう。この問題でも、議論の中心にいるのは日本や米国ではない、中国なのだ。中国だって、経済連携で取り残されたくなかったらTPPに入らざるを得ない、そうなれば、人権や環境問題での姿勢を正さなければならない…。TPPは、中国を使いやすい市場に「育てて」いく武器なのだと《読売》は言いたいらしい。重ねて9面の記事でも、協定が「女性の社会参画」や「腐敗行為の防止」といった、経済連携協定には珍しいルールを多数盛り込み、「21世紀型の世界基準」を示したものと位置づけていて、これも、暗に中国に突きつける条件をイメージしてのことだろう。
2面記事について、米国とカナダが日本車の輸入と金融に関して、自国に有利な条件を日本に認めさせたと書いているが、これは重大な問題に発展するかもしれない。クルマについては、米国の場合25年掛けて2.5%の関税をゼロにするが、その後10年間はセーフガードを掛けられる。予め、米国の自動車市場は荒らしませんと誓約させられているようなもの。また、日本郵政グループに対する「牽制球」があり、「いずれの国も郵便保険事業体の保険サービス提供について、民間のサービス提供者より有利になるような措置を採用、維持してはならない」というあからさまで脅迫的な一文が盛り込まれてしまった。明らかに「かんぽ生命」を指した規定。「上場した以上、優遇はあり得ない」と日本政府は言うが、外資が何かケチを付けてくる可能性はあるだろう。この点を強調しているのは《読売》と《毎日》。
再協議ではどうなるのか
【毎日】が注目するのは、再協議規定だ。1面トップ記事の見出しは「TPP7年後再協議規定」。関連は6面経済面の記事のみで、「TPP国内承認 曲折か」「日米、選挙控え審議停滞も」。
再協議は、農林水産物や工業製品の関税撤廃時期などについて、米国など5カ国の要請があれば、発効から7年後に再協議に応じるとの規定を設けたことが判明したというもの。聖域は守ったとする安倍政権だが、7年後にはどうなるか分からないことになった。
uttiiの眼
再協議とは、農林水産品の撤廃率81%の日本に対して、さらなる関税撤廃交渉を仕掛けるという意味だろう。国内農業への影響の出方については、この再協議も念頭に置いて考えるべきで、その必要が出てきたことになるだろう。はたして「聖域」は守られるのか否か。
それ以外の《毎日》の心配は、1つは自動車とかんぽをめぐる問題(上述、《読売》の欄を参照のこと)、もう1つはやはり著作権のところに集約されている。ただ、著作権侵害が非親告罪として扱われるのは「著作権者の経済活動に影響を与えるような権利侵害」に限定され、パロディーなどの創作意欲を萎縮させる懸念は払拭されたとする。はたしてどうだろうか。
不安は拭いきれない
【東京】は1面の下段にまずは短めの記事を置き、見出しを「日本を標的に『再協議』規定」「『聖域』農産物 危機も」とした。《毎日》が報じたのと同じ、「7年後以降の再協議」のことだ。米国などから要請があった場合、再協議できる規定が盛り込まれ、「日本の『聖域』が再び脅かされる可能性が残された」とする。再協議を要請できるのは、米国とオーストラリア、カナダ、チリ、ニュージーランドの5カ国。いずれも日本への農産物輸出国だ。無関税の輸入枠、セーフガード(緊急輸入制限)、関税の撤廃について議論することができるという。《東京》は、「再協議の規定があるなら、事前に知らせてほしかった」という自民党農水族議員の声を拾っている。もっともなことだ。
また関税撤廃が決まっているものについては、その前倒しについていつでも協議できると決められた。段階的な撤廃だから大丈夫だという理屈は通らないことになる。
2面には、日本車の緊急輸入制限について、米・カナダに特例で認めることについての記事。その下には、農業者の内閣支持率が半減して18%まで落ちたことを伝える衝撃的な記事。もとは日本農業新聞の調査。
また3面は「食品・訴訟 残る不安」との見出し。食品添加物の認可、遺伝子組み換え作物の表示義務、ISDS条項、国民皆保険制度など、TPPについての不安は、それぞれ手当されたという位置づけだが、それでも、「政府はいつも問題ないと言うが、結果として米国の要求に応じてきた歴史があるので安心できない」という主婦連合会幹部の言葉を紹介する。
uttiiの眼
《東京》は、国連の人権専門家10人が連名で出した警告で、TPP合意が交渉国の人々の生命、食料、水、衛生、健康、住居、教育、化学、労働基準、環境などの人権保障に多面的かつ深刻な悪影響をもたらしかねないとしたことをベースに、記事を位置づけているように見える。
あとがき
国連の人権専門家の警告を意識したのは、《東京》だけでなく、《朝日》も含まれるのだろう。だが方向性は真逆。《朝日》は、TPPには国連が言うような問題はない、ちゃんと対処しましたよと言いたいようだ。《読売》も、ある意味では同様に国連の警告を意識したのかもしれない。だが《読売》の関心は基本的に対中国。協定が、人権規定を置き、女性の社会参画、環境保護などに言及したのは、後から入ってくるはずの中国に対するハードルとして位置づけたためだと言いたいようだ。《毎日》は、再協議によって、安倍政権の言い訳が通用しないものになったことを表現している。
作業部会に再協議。関税撤廃項目については随時の要請と再協議。TPPは、終わらない自由化の目論見ということだろうか。この「終わらない」というところに、この協定の暴力性を感じ取ることができる。
実際、関税撤廃に関する日本政府の「聖域論」は破られたも同然であり、また、非関税の分野では、深刻な著作権問題以外にも、不安の拭えないものだらけだ。大筋で合意したとされ、新聞によっては当然批准されるべきものと位置づけられている今現在のTPP、その膨大な中身には、これだけの問題がひしめいている。
image by: 内閣官房
『uttiiの電子版ウォッチ』2015/11/6号より一部抜粋
著者/内田誠(ジャーナリスト)
朝日、読売、毎日、東京の各紙朝刊(電子版)を比較し、一面を中心に隠されたラインを読み解きます。月曜日から金曜日までは可能な限り早く、土曜日は夜までにその週のまとめをお届け。これさえ読んでおけば「偏向報道」に惑わされずに済みます。
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