大きな話題となっている、北朝鮮の拉致被害者・蓮池薫氏の実兄、蓮池透氏が著した『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』。メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』では本書の内容を引きつつ、拉致問題を利用しのし上がった安倍総理の不誠実さと外交戦略の稚拙さを厳しく糾弾しています。
波紋呼ぶ蓮池透氏の「安倍晋三と冷血な面々」への告発
蓮池透の12月新刊『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)が大きな波紋を呼び起こしている。
蓮池は、言わずと知れた拉致被害者=蓮池薫の実兄で、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)」の元事務局長・副代表として一貫して運動の先頭に立ってきたシンボル的なリーダーである。その彼が、2002年9月の小泉純一郎首相の訪朝以来13年4カ月にも及ぶこの問題の全過程を振り返りつつ、自分自身の恥をさらけ出すことを厭わずに運動内部の矛盾や政府の対応の不誠実を赤裸々に描いたのだから、話題にならないわけがない。
もちろん彼の意図は、単なる暴露や告発にあるのではない。
弟が帰国してから13年余り、拉致問題は一向に進まず、人々の記憶から風化しているように感じる。反発を覚悟の上、話題になるように強い題名にした。「冷血な面々」には私も含まれる。拉致被害者は高齢化していて、一刻の猶予も許されない
(1月14日付東京新聞インタビュー)
という切羽詰まった思いからのことである。端的に言って、何かと言えば「経済制裁」強化の一本槍で相手が膝を屈してくるのを待つだけという事実上の無為無策の連鎖を断ち切って、いかにして戦略的な知恵を絞って対話と交渉による現実的・具体的な解決の道筋を軌道に乗せるかが喫緊の課題であり、運動側、政府、マスコミだけでなく国民皆が蓮池の身を挺しての問題提起を真剣に受け止めるべきであると思う。
拉致を「政治利用」してのし上がった安倍
書名からも分かるように、拉致問題を利用するだけ利用して実は拉致被害者を見殺しにしてきた「冷血な面々」の筆頭として、安倍が名指されている。
小泉訪朝に同行した当時の安倍官房副長官は、拉致問題を追い風にして総理大臣にまで上がり詰めた。この第1次安倍政権で講じた手段は(第2次内閣を含めて)、北朝鮮に対する経済制裁と拉致問題対策本部の設置、この2つのみである
世間では北朝鮮に対して当初から強硬な姿勢をとり続けてきたと思われている安倍首相は、実は平壌で日本人奪還を主張したわけではない。この事実は、本書の特別対談でも、ジャーナリストの青木理氏が明らかにしている。安倍首相は拉致被害者の帰国後、むしろ一貫して、彼らを北朝鮮に戻すことを既定路線として主張していた。弟を筆頭に拉致被害者たちが北朝鮮に戻ることを拒むようになったのを見て、まさにその流れに乗ったのだ。そうして自分の政治的パワーを増大させようとしたとしか思えない
いままで拉致問題は、これでもかというほど政治的に利用されてきた。その典型例は、実は安倍首相によるものなのである。まず、北朝鮮を悪として偏狭なナショナリズムを盛り上げた。そして右翼的な思考を持つ人々から支持を得てきた。アジアの「加害国」であり続けた日本の歴史の中で、唯一「被害国」と主張できるのが拉致問題。ほかの多くの政治家たちも、その立場を利用してきた
(P.52~54)
ここで言及されている特別対談での青木の発言とは……。
振り返ってみれば、拉致問題を膠着状態に陥らせた最大の責任は安倍さんにあると思うのです。そもそも彼は何をしてきたのか。日朝会談を実現に導いたのも、金正日に拉致を認めさせて謝罪させたのも、彼の仕事ではまったくない。日朝首脳会談後の北朝鮮バッシングムードを煽り、それに乗っただけです
会談時には「金正日が拉致を認めて謝罪しなかったら席を蹴って帰国しましょう」と安倍さんが小泉首相に直言した、などという妙に勇ましい「武勇伝」ばかりが喧伝されたけれど、そんな発言が本当にあったかも怪しい。田中均さんに聞いたら、はっきりとは否定はしないのですが、「そんな発言は記憶にない」という。「金正日が拉致を認めて謝罪しなかったならば平壌宣言など署名できない、そんなことは会談に関わっていた全員の共通認識だったから、あらためていう必要もない」ともいっていました
しかし、安倍さんは日朝首脳会談を跳躍台として、政界の階段を一気に駆け上がった。以後も「対話と圧力」といいながら、対話のルートすら作ることができず、やってきたことといえば北朝鮮への圧力をひたすら強め、勇ましい発言を繰り返すばかり。……拉致問題を最も政治的に利用したのが安倍さんだといっても過言ではないと思います
(P.268 ~270)
私も同意見である。
国会でブチ切れて反論する安倍総理の醜態
1月12日の衆院予算委員会では民主党の緒方林太郎が、蓮池著書の一部を引用して、「あなたは拉致を使ってのし上がった男ですか」と安倍に問うた。安倍は「その本をまだ読んでいないが、家族会の中からもその本に強い批判がある。……私は父親(安倍晋太郎外相・党幹事長)の秘書の時からこの問題に取り組んできて、この被害者を取り戻すことこそが政治の責任との思いで仕事をしてきた」と反論した。
緒方が重ねて、「世間的には、当時の安倍官房副長官が強硬に反対をして5人を北朝鮮に戻さなかったということになっているが、蓮池の本では安倍は蓮池の弟たちが一旦北朝鮮に戻ろうとするのを1度たりとも止めようとはせず、彼らの戻らないという意思が覆らないのを知って、渋々方針を転換したと書いていて、どちらが真実なのか」と糺すと、安倍はブチ切れ状態になって、「当時は、5人を戻すという流れだったが私は断固として反対し、最終的に私の官房副長官の部屋に集まって帰さないという判断をした」と叫んだ。
では蓮池が嘘を言っているというのかと緒方が畳みかけると、安倍は「私は誰かをうそつきとは言いたくないが、私が申し上げていることが真実であるということは、バッジをかけて申し上げる。私の言っていることが違っていたら私はやめますよ、国会議員をやめますよ。それははっきりと申し上げておく」とまで開き直った。
拉致問題が初めて国会で大きく取り上げられたのは1988年早々で、その頃によど号犯人グループ絡みで欧州で拉致されたとされる有本恵子の存在が明るみに出て、有本の両親が自民党幹事長だった安倍晋太郎に政府としての対処を陳情したという経緯があるので、晋三が父親の秘書時代から拉致問題に取り組んだというのは本当だろう。
とはいえ、それと2002年小泉訪朝で安倍がどういう役割を果たしたかは関係のない話で、その時の日朝和解による国交正常化への道筋打開に拉致問題での北の謝罪を絡ませるという際どい組み立ては、専ら田中均外務審議官とミスターXの秘密交渉によって設営されたものである。だから、その本番交渉の場で、小泉や田中が拉致被害者の問題で曖昧な態度であるのをたしなめて、安倍だけが断固たる姿勢を表明したなどということはありえない。作られた神話である。
さらに、5人が「一時帰国」した後に、政府全体が北との約束に従って5人を一旦は北に戻さなければならないと考えていたのに対し、安倍だけが終始一貫「断固として反対」したというのも、嘘だろう。それほど信念を持っていたのであれば、「一時帰国」の約束を反故にして日本に留まった場合に北に残してきた家族が酷い目に遭わないかどうか思い惑っていた5人を、安倍が自ら乗り出して説得してしかるべきだが、蓮池が書いているとおり、弟の薫には電話1本掛かってくることはなかった。蓮池が弟を説得し、他の4人も「戻らない」方向に傾いて覆らないと分かった時に「じゃあ仕方ない、そのように政府方針を固めましょうか」という話し合いが安倍官房副長官室で行われたというのは事実だろうが、だからといって安倍が最初から「断固として(戻すのに)反対」だったかに言うのは、これまた作られた神話である。
政府が「5人を戻さない」と決めたのが間違い
私は蓮池のこの本を読むまで、5人を戻す戻さないについて安倍の態度がそんな風であったことを知らず、神話どおり、田中均や福田康夫官房長官が戻すと言うのに対し、安倍1人が断固反対して戻さないことで押し切ったものと思っていた。その上で私のこの件についての当時からの論点は、安倍が「5人を戻さない」と言い張ったことが間違いだというにあった。
本誌は、No.384(2007年3月14日号)「出口を見失う安倍外交」では当時山崎拓=前自民党副総裁が独自に追求していた日朝関係の膠着打開策に触れた部分で、こう書いた。
▼しかし、山崎のアイデアを含めてこうした現実的な解きほぐし策を検討すること自体、被害者・家族・支援者にとっては「裏切り」であり、最初から彼らと心情的に一体化している安倍にとっては出来ることではない。
▼もちろん、被害者・家族の心情に深く思いを致すことは大前提だが、それだけで直情的に突き進むのでは国としての二枚腰、三枚腰の外交姿勢にはならないのであって、安倍には最初(一時帰国の5人を「帰さない」と政府として決定した時)からそのような考慮が欠けている。
▼今回も、その直情性のために、すでに第1ラウンドにおいて、日米vs北の圧力図式を作り上げて拉致で進展を得ようという目論見は崩れ、逆に朝米vs日の図式で核問題を前進させて日本を孤立化させようという北の術策に嵌ることになった。安倍政権の間は拉致問題が一歩も進まないという事態に陥る危険さえ見て取れる。
さらに本誌は、No.402(07年7月14日号)「拉致敗戦?」でも次のように書いた。
▼安倍がこの問題のチャンピオンに躍り出たのは、言うまでもなく、5人の拉致被害者が「一時帰国」した際に、本人たちの気持ちは本当のところどうだったのか分からないが、家族・支援者たちの「帰らせない」という強い心情を重んじて、それを政府方針として決定するために官房副長官としてイニシアティブをとったことによる。
▼北への怒りと不信に満ち満ちている家族・支援者のその心情は当然であるけれども、それに政治・外交次元の論理を同化させることが正しかったかどうかは疑問の残るところで、当時[注]私は安倍にテレビ局の廊下で「あれじゃあ交渉を断絶させるだけでしょう。5人を一旦は返して、安倍さんが一緒に付いて平壌に行って自ら人質になって、被害者と向こうに残っている家族がじっくり話し合って結論を出すのを保証するようガンガン交渉して、早々と結論が出て帰国するという人は連れて帰ってくる、もっと話し合いが必要な人はその結論を尊重するよう北に確約させる──というふうにしたら、安倍さんは英雄になり、交渉は閉ざされずに済んだんじゃないか」と言ったことがある。
▼それは思いつきの一案にすぎなかったが、心情的な運動の論理を尊重しつつも、裏もあり表もある政治・外交の論理で打開する道筋はあったはずで、その点、安倍は直情的に過ぎた。
※[注]2002年11月17日サンデー・プロジェクトの「拉致問題、打開の秘策あり!?」に安倍が出演した時のことと記憶する。
繰り返すが、私は安倍が「戻さない」立場で一貫していたと思ってこういう言い方をしている。しかし、ここで私が、家族・支援者の運動の論理に政治家としての政治・外交の論理が引きずられてしまうのはおかしいのではないかと指摘していることについては、たぶん蓮池も同意するはずである。蓮池は冷静にこう書いている。
家族が感情的になるのは至極当然のことである。しかし、政府が感情で外交を行ってもいいのだろうか。「家族会」「救う会」の意向によって右往左往してはならない。理性的になるべきである。「政府がやるので、あなたがたは黙ってリビングでテレビでも観ていてください」、そういった頼りがいのある言葉を聞いてみたいものだ
(P.55)
ストックホルム「再調査」合意の空しい結末
上に引用したように、蓮池が
アジアの「加害国」であり続けた日本の歴史の中で、唯一「被害国」と主張できるのが拉致問題。ほかの多くの政治家たちも、その立場を利用してきた
と指摘しているのは重要である。
結局のところ、安倍のアジア近隣外交とは、北朝鮮に対しては拉致一本槍で、韓国に対しては従軍慰安婦問題、中国に対しては歴史認識問題を正面に押し立てて、日本は「中国や韓国に加害者呼ばわりされる謂われはない、それどころか北朝鮮との関係では被害者なのだ」と叫び立てることで日本のプライドを取り戻そうということに尽きる。これではまるで、「僕は何にも悪いことなんかしていないもん。僕に酷いことをしたのはお前じゃないか」と言い張る餓鬼の喧嘩みたいなもので、そこには日本とアジアの未来を見据えた総合的な外交戦略など入り込む余地すらもない。
蓮池の言う「政治利用」の本質はそこで、安倍は日本会議由来の「偏狭なナショナリズム」を煽って、自分の栄達や政権の浮揚を図るための道具として拉致問題を利用してきただけなのだ。
2014年5月のストックホルムでの日朝協議における「再調査」合意もまさにそれで、北朝鮮側が「拉致被害者、特定失踪者、日本人妻、残留邦人、大戦終了前後の遺骨調査のすべてについて再調査を始める」代わりに、日本側は対北独自制裁の一部を解除するということになって、当時政府はマスコミを通じて今にも何人かの拉致被害者が帰ってくるかのような一大キャンペーンを繰り広げたが、大山鳴動鼠一匹の体で、何1つ成果が出ないままに終わっている。
それもそのはずで、これは外務省はもちろん、首相肝煎りの拉致問題対策本部もスルーして、北の非公式ルートから持ちかけられた話に安倍側近が軽々しく乗って、「14年の夏の終わりか秋口に成果が出れば、万々歳。仮にも横田めぐみさんが帰ってくるということになれば、安倍が平壌訪問して国中が沸き立つような一大パフォーマンスになって、秋の政局を突っ切れる」という、純粋に政権運営的な思惑から飛びついただけのことで、北からのジャブにまんまと引っかかってしまったのである。
私は同年8月27日付の日刊ゲンダイのコラムで、「北朝鮮のペースに嵌められた」と指摘したが、蓮池は、
心配した通り、「夏の終わりから秋の初めごろ」とされた再調査結果報告の期限は、守られなかった。拉致問題のプライオリティの低い北朝鮮にとっては当然のことなのかもしれない。北朝鮮側は「誰も見つからなかった」という、いわゆる「ゼロ回答」をしようとしたが、日本側が受け入れなかったという説もある
(P.64)
と書いている。要するに安倍の政局思惑からの前のめり姿勢が北に見透かされているということである。
こうして、「拉致問題の安倍」が2度も首相になったというのに、この問題は一向に進展しないばかりか、むしろ膠着を深めている。蓮池がこの本の全編を通じて問いかけているように、拉致問題の解決とは何かという定義を明確にした上で、単に経済制裁を振り回すのではない、本気の対話と交渉の路線をどう設営するのかを考えるべき時である。
image by: 首相官邸
『高野孟のTHE JOURNAL』より一部抜粋
著者/高野孟(ジャーナリスト)
早稲田大学文学部卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。現在は半農半ジャーナリストとしてとして活動中。メルマガを読めば日本の置かれている立場が一目瞭然、今なすべきことが見えてくる。
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