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政権圧力?「放送法」の意図を取り違えている専門家が多すぎる

最近、大学で教鞭をとる先生たちにテレビ局出身者が増えているそうです。しかし、『辛坊治郎メールマガジン』で辛坊さんはこの自称・元テレビマンたちの程度の悪さ、知識の無さを憂いています。特に、テレビに関わる人間であれば知っているべき「放送法」について間違った解釈をそのまま学生達に教えている先生もいらっしゃるようで…。

放送法の意図を取り違えている専門家が多すぎる

アメリカが1987年に廃止した「フェアネスドクトリン」は、アメリカ占領下の1950年に制定された日本の放送法の基本理念ですが、このあたりについて詳しく知りたい方は名著「TVメディアの興亡(集英社新書)」をお読みください。あの関西大学の国語の入試試験で、一章丸ごと長文読解問題で出された程の正に名著です。勿論私が書きました(笑)。古い本ですが、いまだに絶版になっていません。集英社、流石です。

それにしても驚くのは、日本の大学で「元テレビ局ドキュメンタリスト」などの肩書で授業をしているセンセイ方の程度の悪さ知識の無さです。これらの人の中には、「放送法は放送局の言論の自由を守るためにある」なんて恥ずかしいことを言う人がいてびっくりします。これって間違いを指摘するのもバカバカしいですが、もし放送局の言論の自由を守るために放送法があるのなら、新聞社の言論の自由を守るために「新聞法」や、雑誌社の言論の自由を守るために「雑誌法」を作りますか?ありえないでしょう。

日本では憲法第21条で、絶対的な言論の自由が全国民の権利として保障されていて、例外的に「自由を制約する法律」が放送法なんです。放送法に類する法律はどこの国にもありますが、少なくとも先進国において、この法律を定める意図は、「放送という、一部の組織のみに特権的に、限りある資源の電波を使用させるメディアにおいては、特定の政治勢力に使われたり、一方的な主張が展開されたりしないように歯止めをかけることで、公共的な役割を担わせる」ということにあるのは、全世界の常識です。新聞や雑誌など、放送以外のメディアは、まともな民主主義国では、報道、論評等完全な言論の自由が保障されています。

つまり日本の放送法が定めているような「政治的に公平であること」や「意見の対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする」などという制約は、新聞や雑誌には一切ないんです。

もう一度言います。「新聞法」や「雑誌法」は現代日本ではありえないんです(戦前には『新聞紙条例』などのメディア制限法が活字メディアにもありました)。逆に言えば、「放送法」というのは、「希少な資源を独占使用する代わりに放送局が守らなくてはいけない事柄を定めた法律」以外に解釈のしようがないし、それが長年、まともなメディア学者や放送事業従事者の認識だったんです(今では別のことを平気で言う『元最高裁判事』なんて肩書を持つ困った『自称』法律家もいます(笑))。

放送法は放送局の言論の自由を守るための法律」なんていう考え方は、ごく最近、それも頭の中にお花畑があるような人が言い出した間違った意見です。もう一回言います。新聞の言論の自由を守るために、「新聞法」を作るなんて発想ありえますか?

そして、この「脳内お花畑理論」の間違っているところは、こんなことを言い始めると、「政治的公平性等を義務付けた放送法の改正論議が起きず現状を放置することにつながるからです。私は、これだけ多メディア化が進んだ現代日本で、放送局という報道機関にのみ政治的公平性を義務付ける意味は、もはや殆どないと考えています。

image by: Shutterstock

 

辛坊治郎メールマガジン』第258号(2月19日発行)より一部抜粋

著者/辛坊治郎
「FACT FACT FACT」をキーワードに、テレビや新聞では様々な事情によりお伝えしきれなかった「真実」を皆様にお伝えします。その「真実」を元に、辛坊治郎独自の切り口で様々な物の見方を提示していきたいと考えています。
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