いま日本中の自治体や企業が取り組んでいる「環境緑化」「市街地緑化」。地球温暖化防止やヒートアイランド減少の緩和、さらに景観の向上、人々の心をリラックスさせる心理的効果など、「緑」がもたらす有効性の高さに注目が集まっています。そんななか、個人で、極めてユニークな方法で環境緑化に取り組んでいる方が大阪にいます。その驚くべき手法とは?
岸和田市でウワサの「苔おじさん」とは?
大阪府の南部に位置し、熱気みなぎる「だんじり祭」でも知られる岸和田市。
そんな岸和田には以前から「屋根に苔がびっしり生えた乗用車が街を走っている」「苔でおおわれた帽子をかぶったおじさんがいる」という噂がありました。
一般の方がSNSに投稿した謎の苔カー画像の数々を見てみると、確かに! 苔が屋根一面をびっしりとまとったバンの姿が。これは「だんじり」に勝るとも劣らないインパクト。
それにしても、「コケ?」「クルマに?」「なぜ?」。
もしかして、車の手入れを怠りすぎて勝手に苔が生えてきたのでは?
噂の“苔おじさん”の居場所をつきとめた僕は、理由を明らかにするため、ご本人にコンタクトをとりました。
帽子や車に苔がどっさり!
ちまたで話題となった苔おじさんの正体は、開業22年目を迎える「さくらや・いずはら集配専門クリーニング」を営む泉原一弥さん(59歳)。ここ岸和田市で生まれ育った生粋の泉州っ子です。
泉原「おはようございモス!」
そう言って現れた泉原さんかかぶる帽子は、風説のとおり、苔でいっぱい。
▲「おはようございモス!」。苔がたっぷりトッピングされた帽子をかぶって現れた泉原さん
泉原「これは“地球温暖化防止帽子”です」
ち、地球温暖化防止帽子!?
▲CO2削減を表現した「地球温暖化防止帽子」は数種類のタイプがある
そして集配に使われる営業車の屋根には、おお! 噂どおり、びっしりと苔が。
▲泉原さんが乗るクリーニング集配車の屋根には苔がどっさり。岸和田市は周辺都市で頻繁に目撃され、SNSなどで報告される
泉原「この車は『やあね、こけちゃっカー』と名づけています。2011年6月から走りはじめました。漢字で書くと『屋根苔着車』。屋根に苔が着装された車という意味。当時『やあね、こけちゃった!』っていうフレーズが身内で流行っていたんで、それとかけたネーミングです」
装着されているのは乾燥に強い「スナゴケ」という品種。山の持ち主から特別な許可を得て譲り受けた天然ものなのだそう。そしてこのスナゴケを、屋根に取りつけた「どんとキャット」という猫よけシートに挿して固定。高速道路で時速80キロで走行しても「ひとかけらも落ちない」という、しっかりとしたしつらえ。もちろんいっさいの違法改造をしていない車検適合車です。
▲屋根に敷いた苔は「スナゴケ」という品種。天然ものを特別な許可を得て譲り受けている
▲屋根の上に猫除け用シート「どんとキャット」をしつらえ、これに苔を挿して固定させる
安全安心とはいえ、驚いてコケそうになるほど、見た目の衝撃度はデカい。遭遇した街の人たちの反応は?
泉原「やはり多くの人から怪訝そうな顔をされますね。女子高校生たちからは『なにあれー、変な車や!』って指さされます。でも、それでいいんです。興味を持ってくれることが大事。近づいてしげしげ眺めている人には、車の屋根に苔が敷いてある仕組みを説明したり、苔そのものをちぎってお分けしたりすることもあります」
▲「苔を見に来た人には、わけてあげる」とのことで、集配を終える頃には、ところどころがハゲている
苔は「環境緑化推進」のメッセージだった
ときには街ゆく人たちからコケにされながらも、はつらつと苔生活を送る泉原さん。それにしても、いったいなぜ苔の帽子をかぶったり、屋根に苔をトッピングした車を走らせたりしているのでしょう?
泉原「理由は『地球温暖化防止と、そのための環境緑化を推進したい』という想いからです。大阪にもっと緑を増やし、環境をよくしたい。東京は都市に緑を増やすため、建物に屋上緑化や壁面緑化をほどこした事例が増えていますよね。東京は街に緑が増えてきている。そやけど大阪は遅れていると思うんです。苔を載せたこの車や帽子はもっと『緑視率』(りょくしりつ)をあげていこうよ、という私からのメッセージなんです」
実は泉原さんは「大阪府地球温暖化防止活動推進員」「岸和田市環境審議会委員」をつとめる、ひじょうにエコな方。また「やあね、こけちゃっカー」による緑化の呼びかけが評価され、環境省が選ぶ「グッドライフアワード」や総務省が選ぶ「エコジャパンカップ」に入賞した経験も。
▲自ら「苔おじさん」となって環境緑化の大切さを訴える泉原さんの活動は高く評価され、表彰されることもしばしば
そんな泉原さんが気にする「緑視率」とは、樹木などが視野を占める「みどりの面積」の比率のこと。国土交通省が行った調査によると「緑視率がおよそ25%を超えると人は『緑が多い』と感じ始める」という結果が出ています。そして大阪府が平成27年に公表した「まちの緑視率」によると、大阪府民が感じる緑視率の割合は、わずか1%。なるほど、これは少ない。泉原さんは、愛する生まれ育った大阪のため、さらに日本のために、自らを緑化しながらそれを訴えていたのです。
車に苔を装着したら「燃費が下がった」
さらに、この「やあね、こけちゃっカー」には、メッセージを伝えるだけではなく、具体的な利点もあるのだそう。
泉原「屋根を苔で覆ってからというもの、夏場にクーラーをかけたことがないんです。燃費が下がりました。車は基本“陸屋根”(ろくやね。傾きをつけず、ほとんど平らに造った屋根)でしょう。陸屋根は直射日光がそのまんま全面に当たるので、夏はものすごく熱くなるんです。さらにその熱が車内にも伝わり、どうしても運転中に冷房をかけざるをえない。そうするとお金がかかるし、余計なエネルギーを使ってしまいます。ところが屋根を緑化すると植物が光を反射し、さらに熱を吸収するため、屋根や車体が熱くならず快適に過ごせるんです」
マジですか! 屋根を苔で覆うだけで、自動車のエアコンをつけずに過ごせるようになるとは驚きました。
泉原「もちろん『今日はさすがに暑いな』という日もあります。でも省エネをメッセージしている車が冷房をつけると本末転倒やから、意地でもクーラーをつけず、窓を全開にして走ってます(笑)」
ああ、まだまだ改良の余地はあるようです。
クリーニング業を営みながら高校では講師も
そんな苔マン泉原さんと植物のかかわりは、幼少期にさかのぼります。
泉原「父親は鉢物の園芸商を営んでいました。草花をいつくしみながら仕事をする父の背中を見て育つなかで、自然と植物に興味をいだくようになったし、植物と人とのつながりを勉強したくて園芸高校を選んだんです」
泉原さんはそうして大阪府立園芸高等学校の造園科を経て大阪府立大学に進学。大学在学中に母校での仕事を手伝い、卒業後は同高校「環境緑化科」で教鞭をふるいます。教職を退いたのち平成8年に集配専門のクリーニングサービスを起業しますが、「泉原さんの授業は面白くてわかりやすい」と評判を呼び、大阪府立貝塚高等学校や同府立横山高等学校で造園学などの講師を受け持ち、3年前まで教壇とクリーニング集配の二足のわらじ状態だったというから驚き。
なんと「13年がかり」で車の屋根に苔を積載
そんな慌ただしい日々のなか、泉原さんは「仕事で使う集配車の屋根に苔を備えつける」という大胆きわまりないアイデアを生みだします。
泉原「東京で盛んにおこなわれている屋上緑化を『僕もやるべきや』と考えました。そして『いっそ“車の屋上”を緑化でけへんかな』と。僕にとって店舗というたら、この車ですから。『光合成して、二酸化炭素を吸って酸素を放出する車、これはいいぞ!』……と思いついてから実現までに13年かかりました。ああやない、こうやないと、長い試行錯誤がありましたねえ」
こうして始まった世にも珍しい自動車緑化プロジェクト……ですが、そうやすやすとことはうまく運びません。芝やつるくさなどさまざまな植物で試したものの、育成のために土を必要とすることや、水をやる際の排水の問題が解決せず断念。そこでたどり着いたのが「苔」。
泉原「苔なら根っこを張らないし、雨水だけで生きるから水をやる手間もない。道端でかぴかぴに縮んだ苔、見たことありますか? 雨が降ったら生きかえって緑が映えるでしょう? 苔って自ら仮死状態になって、次に雨が降るまでじっと待っている。そして雨が降ると復活する特性があるんです。この蘇生の瞬間がいとおしくてね。かわいいんです。苔はほんまに環境緑化にふさわしい植物やと思います。壁面でも育ちますし、CO 2の削減になる。観ていて心理的な安定ももたらしてくれます。育て方が簡単な苔が活躍する時代がこれから来ると思いますね」
育てる手間がかからない愛らしい苔。これを冠載すると決めたものの、今度は「苔をどうやって安定させたまま車の屋根に這わせるかを悩みに悩んだ」と泉原さんは云います。さらに最大の難関は……。
泉原「一番の難関は……妻でした。『そんな車いらん。そんなんで街を走ったら恥ずかしい』『そんな車であんたの隣に座るのは絶対いやや』と激しく抵抗されました。説得に長いことかかりました。え、いまですか? いまは……やっぱり、いやがってます(笑)」
暮らしにとけこむ「苔テラリウム」
粘り強い説き落としの甲斐あって奥様の理解をなかば得ることができ、「やあね、こけちゃっカー」は無事に街へと繰り出しはじめました。以来、誰もが思わず振り返るダイナミックな緑化運動が功を奏し、地元のローカル路線「水間鉄道」のヘッドマークを苔で包み込むという依頼が舞い込んだり。
現在力を入れていらっしゃる「苔テラリウム」のワークショップは、関西以外からも「講師に」と声がかかるようになったのだとか。
▲地元を走るローカル路線「水間鉄道」からは、街の緑化推進のシンボルとして、なんと「ヘッドマークの苔装着」を依頼された
▲各地で「苔テラリウム」のワークショップを開く泉原さん。場所は問わず、ときには電車の車内で行うことも
▲泉原さんがつくり方をレクチャーする「苔テラリウム」
▲ふたを閉めても水分が水蒸気となって循環するため、ほとんど水をあげなくても育つ
泉原「小さなお子さんが『苔ってかわいい』って言うてくれる。そんなとき『ああ、やっててよかったな、伝わってるな』と感じますね」
では泉原さん、これからの夢は?
泉原「夢は『苔装着車の普及』ですね。いつか『苔が生えていない車のほうが珍しい』という時代が来てほしい。そして自分はその先駆者となりたいです」
泉原さんが全身全霊を傾けた緑化運動はまだまだ続きます。それこそ、苔のむすまで。
▲環境緑化の大切さを視覚からメッセージする愛車「やあね、こけちゃっカー」。いつくしむように見つめる泉原さん
さくらや・いずはら集配専門クリーニング
http://www2.sensyu.ne.jp/sakuraya/
苔テラリウムワークショップ
https://koketerariumu.jimdo.com/
ジモトのココロ