時代の流れか、街から書店がどんどん姿を消しています。これは、日本に限ったことではなく、ニューヨーカーにとっては日本人以上に影響が大きいようです。どういうことなのでしょうか?日頃、書店で過ごす時間をリフレッシュのための大切な時間にしているという米国の邦字紙『NEW YORK ビズ!』CEOの高橋克明さんが、自身のメルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』で、「社交の場」としての役割も果たしてきたNYの書店事情をユニークな筆致で伝えてくれます。
最強空間「街の本屋さん」in NY
リフレッシュの仕方って人それぞれだと思うけれど、僕の場合は、書店に行くことです。特に購入しなくてもいい。日系でも、米系でもふらっと本屋さんに立ち寄って、色々物色することがいちばんの気分転換。なぜか気持ちがリセットされます。理由はわかりません。むかしっから。日本にいた時から。
結局は、数冊ほど購入する時もあるのだけれど、それが目的ではないので「気分転換」という意味では、買っても、買わなくても、効果は変わらない。ただ、行くだけで、ストレス発散になるのだから、これ以上ないほど安上がりなリセット法です。(書店さん、ごめんなさい) 新刊を眺めたり、雑誌をパラパラしたり、するだけなのですが、案外、効果的なのが、まったく興味ないジャンルの棚に寄ってみること。これ、意外とおすすめです。僕の場合は、料理、天文学、ファッション、競馬、麻雀、剣道、宗教、卓球、歌舞伎、などの本棚。これらに僕はまったくと言っていいほど、興味がありません。さすがに「週末に編むニットセーター」とか「恋愛星占い」とか「おすすめスイーツスポット」とかは人目が気になって手に取ることはないけど、とにかく、まったく興味ない分野の書籍をチラッとでいいので、読んでみること。かなりおすすめします。
それらは興味がないので、自分からあえて手に触れないと、一生目にしない情報ばかりです。で、意外と面白かったりする。天文学などは、ついつい立ち読みが面白すぎて、数冊購入するまでに至りました。それはそれで当初の目的から離れていってしまってるけれど。まったく知らないジャンルに、そこに少し触れるだけで、なぜか今の現状を頑張ろうと思えたりするのです。理由は説明しにくいけれど、でも、そうなんです。
書店にただ立ち寄るだけの効用は他にもあります。まず世の中のトレンドが手に取るようにわかる。ファッション誌や、週刊誌の表紙を見れば、有名人で誰が今、“きてる”のか、一目瞭然だし、新刊のビジネス書を見れば、経済の流れすら掴むことも可能だと思います。そして、結構な問題発言をするならば、今、話題のビジネス書や自己啓発本や健康本は、タイトルでその内容の50%は予想できたりします。もちろん100%は無理でも、さらに、パラパラと前書きと目次を読めば、その書籍で作者の伝えたい内容の全体像が見えることもあります。
実際、購入して、ジックリ読むと本文はそれらのアウトラインの根拠や詳細だったりします。購入した見返りは、タイトルと前書きと目次を立ち読みした時ほどなかったりすることも珍しくありません。(今回のメルマガは、かなりバッシングされる内容なので、どうぞ、まぐまぐさん、まぐまぐニュースで取り上げないでください・笑。もし、僕が有名コラムニストなら、クレームと炎上の嵐だな、こりゃw)
別に書籍代をケチってるわけじゃないんです。でも、新刊が日に何百冊も出る今の時代、タイトルだけに惹かれて全部、買っていられないし、全部、精読する時間もない。 リフレッシュも出来て、トレンドも把握できて、話題の新書の情報もアウトラインくらいは手に入る。なので、書店通いはやめられない。(全国の書店、出版社が聞いたら、ブチ切れる内容だな、今日の)ネットだと、どうしても、自分の見たい情報、知りたい情報に偏りがちです。興味ない分野を目にする確率は低い。それだと「ネットの住人」になってしまう。情報通だと自己完結しがちになる。書店の場合は、嫌でも、目に入ってきます。世の中の流れが、動向が。仮に興味のない内容でも。
それだけじゃなく、書店には幸福感もあります。なかなか学生の時のように、月に何冊もの小説を読む時間が今はない。でも、読みたい作者の新刊は、今月も出る。小説のコーナーに寄っては、いつか時間ができたら、読むぞ、と思いを馳せる。今は思うだけだけど、老後の楽しみを想像する。 旅行って、実際に行った時より、行く前のガイドブックを読んでいる時がいちばん楽しいって、よく聞きます。それと同じ。書店自体が、自分の本棚と思い込む。いつか時間ができたら、引っ張り出す。その時は、レジにお金を持っていく作業だけをプラスする。(でも、それこそ、その時には、もう書店自体がないかもしれないけど。その時は、さすがのアナログ、紙派の僕も、さすがに電子書籍に迎合しちゃってるかもしれないけど)
なので、僕は書店であれば一日中いられます。本はよく読む方ではあるけれども、特別にすごい読書家、というわけでもない。難しい専門書を途中で投げ出したことも少なくない。それでも、本屋さんが好きなんだと思います。ひょっとすると、読書、そのものの行為より。実際、以前ここのメルマガでも書いたと思いますが、日本出張時には、今でも滞在期間中の一日を「新宿紀伊國屋デー」に当てています。
午前中から出向き、まずはエレベーターで最上階まで行きます。で、そこからじっくりかけて、店内の隅々までチェック。それを最上階の7階から、順に1階ずつ階段を降りて繰り返します。
1階に到着する頃には、お昼過ぎに。そのまま地下の食堂街に行き、ごはんを食べながら、厳選セレクトしていきます。
書籍って想像以上に重い。今のところ、ここでは国内しか郵送はしてもらえません。なので、購入リストをそこで頭の中で作る。ジックリ選んでお昼ごはんが終わると、またエレベーターで7階まで行きます。今度は選んだ書籍をお買い物カゴに入れながら。大好きな格闘技系、映画系、小説、国際情勢系で偏るところを、少しだけ挑戦的なお買い上げもします。
理由は、日本だと定価だから。ニューヨークの紀伊國屋書店では、郵送コストもかかり、だいたい日本の定価の倍近い額になります。つまり僕たちには、日本の書籍がなんなら「半額」くらいの感覚になってしまっています。なので、ニューヨークでは絶対に買わない「ファッション雑誌」や「ゼロからやり直す日本史!」や「萩原健一自伝」みたいな本まで購入してしまうわけです。(結局はそれ、定価なんだけど、日本人的には)毎回、3万円から5万円くらいを大人買いし、帰りのスーツケースはまるまるひとつ書籍で埋まります。なので、いつも空のスーツケースを日本には持って行きます。それくらい、時間があれば、書店にいたい人間です。
例えば、うちの奥さん。たまに一緒に書店に寄ると目当ての書籍を手にとってすぐにレジに行き、買うや否や店を出ようとします。バカなのかなと思います。逆に、子供服売り場では、どっちが可愛いか延々と何時間も迷ってる。ありえない。子供の着る服なんて、穴さえ開いてなきゃ、なんでもいい。手に取ったモノをレジにそのまま持って行って、スグ店を出よう。そう言う僕に、彼女は逆に「バカなの? ありえない」と言います。 そんな僕は、日中、編集部から歩いて5分の紀伊國屋書店ニューヨーク本店にはちょくちょく足を運びます。地下はケータイもつながらないので好都合。もちろん米系の書店でも、前述の「リフレッシュ作用」は変わらない。こっち(現地)の本屋さんも大好きです。
ただ、ニューヨークに限らず、世界的なことですが、とにかく街から書店が消えました。僕の渡米当初、今から約20年前、ニューヨークは書店だらけ、というのは大げさでも、大型書店が結構な数でありました。どこのエリアにも。 今でこそ、日本でも珍しくありませんが、それらの大型書店は、立ち読み客のために、座り心地のいいソファを店内のあちこちに設置し、スタバなどのチェーンカフェも常設し、言ってみれば「マンガ喫茶」ならぬ「新刊の書籍喫茶」のようなものでした。 お金のなかった当時、時間が空けば、当時付き合っていた今の妻とふらっと寄っては、コーヒー1杯で、雑誌を片っ端から目を通し「時間を潰す時間」にしていました。当時は、今よりも英語が苦手で、話すのにも苦労していたのに、雑誌を「読む」なんてできなかったはずなのに、不思議とその時を、楽しい時間だったという記憶しか残っていません。
今では日本でも、このように「立ち読み」ならぬ「座り読み」の客を目にしますが、ニューヨークのこれらの書店のすごいところは、客になんの遠慮も見えないところ。「ここ、図書館か!?」というくらい、何冊も山積みでテーブルに置き、まるで自分ちのリビングのように、くつろぎまくって読書タイムを満喫しています。コーヒー片手に。 圧倒されたのは、読み終わった後。ほぼ全員のニューヨーカーが、その山積みになった書籍をそのままにして店を出ます。1冊も購入しない場合でも。で、店員が当たり前のように片付けて、テーブルを拭いて、新刊を元の棚に片付ける。
さすがに日本人の僕は、そこまではできません。テーブルに持ってくるのは1冊、ないしは2冊まで。なるべく綺麗に読んで、コーヒーはなるべく本から遠ざけてテーブルに置き、毎回、棚に戻して、次をとってくる。そのまま帰るのは忍びないので、雑誌の1冊も購入して、ウエットティッシュでテーブルを拭いてから店を後にします。こんな日本人的なところがどうしても出ちゃって、いやになるな、と思った瞬間、いや、おかしいのは奴らだろ、と思い直す。雑誌の1冊買っても買わなくても、雇われ店員はどっちにしてもなんとも思ってなさそうだけど、そういった意味では、どうしても、ニューヨーカーにはなれません。どちらにしろ、楽しいひと時でした。
そんな大型書店は軒並み、閉店しました。今残っているのは五番街のバーンズ&ノーブル(Barnes & Noble)くらい。友人のニューヨーカーから聞いた話、大型書店の消滅は、独身のニューヨーカーにとっては結構な深刻な問題なのだとか。特に、当時は今ほど、出会い系のサイトが充実していませんでした。あったとしても、SEX相手を探す、男性寄りのエロ系がほとんどだったとか。
その頃の、ニューヨーカーの相手を探す場所は、夜はバーと相場が決まっていた。でも、バーも結局、お酒が入るので、どうしてもシリアスな相手というより、遊び相手、という傾向が強いのだそう。では、もっと真面目な感じで、お酒も飲めないシングルはどうやって相手を探したのか。それが、大型書店だったそうです。前述したように、こっちの大型書店は、カフェの趣もある、ゆったりとしたくつろぎ空間。そこで読んでいる本から、趣味の話まで広がり、相手を見つけた、という人も少なくなかったのだとか。
確かに、テーブルに積まれた本たちは、ある意味、自分がどんな人間かをこれ以上なくアピールできるアイテム。まさか、いくらニューヨーカーでも、昼真っから、テーブルにHUSTLER(こっちのエロ雑誌)を積み上げるツワモノはいないはず。なんなら、異性の目を気にして「文芸書」や「料理雑誌」をあえて置く女性、「政治経済誌」や「サーフィン専門誌」をあえて置く男性もいたんじゃないだろうか(料理苦手、丘サーファーだったとしても) よく映画で見る、カフェや図書館や書店で、一方が一方に、いきなり声をかける。そこからいい感じで、自己紹介が始まる、そんなシーン。そんな都合いい展開あるか!と日本にいた頃には思っていました。日本では知らない人が知らない人に(ナンパでもない限り)いきなり話しかけることは、そうないと思います。はっきり言って、こっちは普通にあります。ない方が、ない。当たり前のように、よーく見かけます。当たり前すぎて、ナンパでもないらしい。
渡米当初、ダウンタウンのBORDERSという大型書店で、輸入版の日本の書籍をテーブルで読んでいた時のこと。斜め前に座っていた、金髪の同世代の白人女性がいきなり、「Is it Vertical writing?」と聞いてきました。まったく聞き取れず「え」という顔の僕に、ニコニコした顔で、イズイバッティカラン?ともう1回話しかけてきます。語尾が尻上がりに上がっているので、どうやら、疑問形らしい。 でも、何を聞かれているのかわからない。彼女は、ゆっくりと、ジェスチャー付きで、バーティカル?と聞いてきました。「それ、縦書き?」と。日本語の書籍は縦書きです。すべてが横書きのアメリカ人には珍しく感じたらしい。「あぁ…そう」と答えると同時に、彼女は、僕の真横に移動してきました。「読みにくくないの?」と笑顔で。
最初は、寄付金でも勧誘されるのかなと警戒したのですが、そこからエイミーよ、と自己紹介され、ちょっとした世間話が始まりました。なんだよ、この展開、映画じゃん!と思いました。書店。女の方から話しかける。相当、可愛い。『恋に落ちて』じゃん!と(古いな)。聞くとカナダ人の彼女は今、臨床心理の勉強をするため、ニューヨークに滞在しているとのこと。で、10分くらい盛り上がりました。
「あ、そろそろバスの時間、楽しかったわ、あなたの夢が叶うこと祈ってるね、じゃあね!」と握手をして去っていきました……え、連絡先は?こっちの夢まで聞いといて?え。それだけ?…「じゃあ、気をつけて…」と手を振って見送りました。なんなんだよ、この展開。失望とちょっとした苛立ちが顔に出ていたのか、斜め向かいの黒人のおじさんがニヤニヤこっちを見て「次、頑張れ」と親指立ててきました。余計なお世話だこのやろう。
そう、彼らにとってみれば、空いている時間に、暇つぶしで、そのへんの目に入った人に話しかけることは、特別な意味を持ちません。こっちが勝手に、ドキドキしていただけ。宗教の勧誘じゃなかっただけラッキーでした。もちろん、そこから、こっちが魅力的であれば、そういった対象になりうることはあるとは思います。ただ、日本ほど、声がけに特別な下心はない。
確かに、この街では書店は、社交の場所でした。そして、それがなくなった。もちろん、理由は説明するまでもなく、電子書籍、そしてネット通販が原因です。で、そう言う僕自身も、今はお買い物はほとんどネットで済ませます。 数年前、自宅の近所に、AMAZONの書店が出来ました。マンハッタンでは2店目。エンパイア・ステート・ビル北側に、実際の書籍が置いてある「amazon books」です。結構な売り場面積の大型店です。しかもネット上で四つ星以上の星がついた作品を全面に出す売り方なので、とっても便利。もちろん、カフェも、テーブルも、椅子も常設してあります。そして、壁には大きく「紙の本はなくならない!」とキャッチコピーが。(いや、なくそうとした張本人だけどな!と心でつっこみつつ)。
そう、紙の本はなくならない。 大型書店は確かに減りましたが、いまだ人気根強い街の本屋さんは、健在です。むしろ、そっちの方が人間ドラマは多いかも。いまだニューヨーカーにとっての大切な憩いの場所、書店を何件か挙げときます。観光でこられる際は、ちょっと顔を出して見てください。
■ Housing Works Bookstore Café 住所(エリア):126 Crosby St(SoHo)
■ McNally Jackson 住所(エリア):52 Prince St(Nolita)
■ Bluestockings 住所(エリア):172 Allen St(Lower East Side)
■ Books of Wonder 住所(エリア):18 W 18th St(Flatiron)
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