辛く厳しいトレーニングを少しでも楽しい気分で行ないたい。薬物などに頼ることなく「ハイ」な状態を起こせたら、さらにトレーニング強度を上げられるのでは?飽くなき筋トレへの欲なのか、「ランナーズハイ」が起こるメカニズムを知りたいという質問に、メルマガ『届け!ボディメイクのプロ「桑原塾」からの熱きメッセージ』著者の桑原弘樹塾長が答えます。桑原さんは、痛みを抑制するβエンドルフィンという脳内物質が「○○ハイ」の状態に関与する脳の仕組みを詳しく解説しています。
ランナーズハイの正体
Question
よくランナーズハイという言葉を聞きますが、筋トレでもそれに近い気分を味わう事は可能でしょうか。そもそもランナーズハイはどのようにして起こるのですか。意図的に出せたら最強な気がするのですが。(47歳、男性)
桑原塾長からの回答
今はパンデミックという究極の非日常にいますから、様々な事がストレスになっているかと思います。私たちの感覚とは不思議なもので、悩み事があってもそれ以上の悩み事が出てくると小さな方は気にならなくなったりします。
今日は雨かぁなんて天気に対してブルーになっていても、約束の時間を30分間違えていた事に気がついたら、雨なんてどうでもよくて慌てて出かける支度をするでしょう。しかし痛みに関してはその逆かもしれません。
口内炎が出来て痛いなぁと思っていても、口内炎くらいならさほど大袈裟には考えないでしょうけれど、同時に指先がひび割れしたりしていると、1つ1つは些細な痛みであっても2か所が同時となるとその痛みはグッと堪えてきます。痛みはとても強い体からのメッセージですから、それだけ厳しく受け止めるのかもしれません。
手術を経験した事がある人は理解しやすいかもしれませんが、手術の際には麻酔をとても頼もしく感じます。そして、もし途中で麻酔が切れたらどうしようかとか、ちゃんと効くのだろうかとか痛みへの不安はつきまといます。
例えば、モルヒネはケシの実から抽出された成分で、中枢神経に作用をして強烈な鎮痛効果をもたらしてくれます。また、鎮痛作用だけではなく、不安を取り除き、緊張を解きほぐしてくれ、ある種の快楽を引き起こすとされています。また、快楽だけでなく大きな副作用があり、その中でも薬物依存の副作用は看過できません。それが故に医薬品であると同時に、麻薬としても厳しく取り締まられています。
モルヒネに鎮痛作用があるということは、その受容体が脳にあるということになるのですが、どうして植物の成分の受容体が私たち人間の脳にあるのでしょうか。それはモルヒネの受容体があるのではなく、限りなくモルヒネに似た物質が脳内にあるからなのです。
それがβエンドルフィンやエンケファリンという神経伝達物質です。これらはモルヒネよりも格段に強い鎮痛作用をもっていて、エンケファリンで10倍、βエンドルフィンは100倍と言われています。この化学物質はアミノ酸で構成されているいわゆるペプチド状態のもので、オピオイドペプチドと称されています。脳内のモルヒネの受容体はモルヒネのための受容体ではなく、構造がよく似たβエンドルフィンやエンケファリンの受容体だったのです。これらは体が自ら作る事の出来る、強力な鎮痛剤という見方もできます。
例えば、鍼の治療で痛みをとることがあります。これは痛みを伝える神経細胞(ニューロン)の末端からサブスタンスPと呼ばれる痛みを伝える神経伝達物質が分泌されるのですが、鍼の刺激によってβエンドルフィンやエンケファリンが分泌されて、それが痛みを伝えるニューロン上にある受容体と結合するため、神経末端からのサブスタンスPを抑制するというメカニズムです。
このメカニズムこそが「病は気から」のメカニズムにも繋がっていきます。いわゆるプラシーボ効果というやつです。メリケン粉のような偽薬を本当に効く薬だと信じて飲んだ場合に、時として痛みを感じなくなったりする事があります。これは鍼灸のような刺激に頼らずとも、偽薬によってβエンドルフィンを作っているからなのです。
ちなみにβエンドルフィンの作用を抑制する薬を与えると、その薬が何であるかを知らずとも急に痛みを訴えるようになるそうです。病は気からの魔法が解かれてしまうのです。
このように体自体で作り出す天然の鎮痛剤でもあるβエンドルフィンは、ストレスがかかると下垂体から分泌されるケースがあります。ご質問のランナーズハイのような状態が、まさにこのケースです。
マラソンのように長距離を長時間走ることは苦しい状態です。特に走り始めからしばらくは頑張ってペースを保とうとすると、特に苦しく感じてきます。ところが、走り続けていくうちにさっきの苦しみが嘘のように無くなって、身体も軽くなりむしろ快感を覚えるようなシーンが生まれたりします。これがランナーズハイと呼ばれる状態です。泳ぐ場合にもスイマーズハイは起こりますし、ウエイトトレーニングなどでもそれに近い爽快感を覚える人は多いでしょう。
これはまさにβエンドルフィンが分泌される事によって起こっているわけですが、これは行き過ぎた減量やダイエットによって拒食症となってしまうケースにも見受けられるのです。物を一切食べないのに空腹に耐えられるというのは、通常の状態では考えられません。エネルギーを含め栄養素を補充するというのは、身体を維持させていくうえで相当優先順位が高いからです。その空腹すらも苦痛と感じない原因はβエンドルフィンになります。
自分の感情を抑えたり、肉体的な苦痛を感じなかったりという状態の時、血中のβエンドルフィンの濃度が高いのです。意図的にこれを出せるかと言われれば、少し難しいかもしれません。ただし、日々のハードなトレーニングや練習を自らの意志で行う事で、それに近い高揚感を得られる事は比較的頻繁に起きますから、その先にはβエンドルフィンの分泌が待っているかもしれません。
苦痛を感じないからといって、くれぐれもやり過ぎには気をつけてください。やがて体への負担に耐えられなくなる危険性をはらんでいますから。
image by: Shutterstock.com