入学して間もなくいじめの対象となり、卒業まで学校に通えなかった女子生徒の作文を、意味不明な理由で卒業文集から削除するという暴挙に出た名古屋市立中学。2018年に発覚した信じ難い「事件」ですが、当時の管理職や教職員たちは揃って出世、もしくは天下り先で安穏な生活を送っているようです。今回のメルマガ『伝説の探偵』ではこれまで数々のいじめ事件を解決してきた現役探偵の阿部泰尚(あべ・ひろたか)さんが、削除された女子生徒の作文を公開。さらに当案件で学校側が被害者に対して行った仕打ちの数々を改めて紹介し、彼らの「嘘」や「隠蔽」を白日の下に晒しています。
消された卒業文集
※ 掲載にあたりご本人と保護者の方からの許可を得ています。
これは幻の作文となった。
なぜなら、この中学校の校長ら(主に教頭が主導)が、彼女(被害女子生徒Xさん)の作文を卒業文集に載せず、他の生徒のイラストをそのスペースに載せたからである。
この中学校の卒業文集は2冊ある。
他の生徒に配布された卒業文集は、上の作文の代わりにイラストが載った。そして、彼女の保護者には、作文を切り取って貼り付けた卒業文集と他の生徒が持っている卒業文集の2つが提示されたのである。
「どちらを買いますか?」と担当者は質問したのだ。
ふざけた質問である。
個人情報については黒塗りをしたが、この作文を読んで不快に思う人はいるであろうか?いじめの加害者は不快に思うであろう、この件を隠ぺいしようとした教職員も不快に思うかもしれない。
卒業文集に彼女の作文を載せなかった理由、それは「不快に思うから」であった。
これを世間一般では、いじめ行為推進校による専制政治が引き起こした横暴というのである。
いじめ事件
愛知県名古屋市、いじめによる被害やその隠ぺいが激しく起きている地域である。
2015年6月23日、校外学習でイルカショーを見に行った際、いじめの被害者であるXさん(当時中学1年生、女子生徒)は、友人のHさん(同級生)からそれ以前にもらった某キャラクターのタオルを使った。
このタオルを見た同級生のCさんが以前Aさんにあげて、なくなったものと同じタオルだと騒ぎだした。
つまり、被害者Xさんは、友人のタオルを盗んだ窃盗犯として吊るしあげられたのである。
それ以前、Xさんは別の同級生(Xさん不登校の後にターゲットとなり卒業まで不登校となった)に対する嫌がらせを強要されており、これを断ったことで、いじめのターゲットにされた可能性が高い。
Xさんは、この冤罪事件を機に学校にいけない状態になってしまった。
いじめ防止対策推進法第2条、いじめの定義から、これは「いじめ」であったと認定できる。いじめの定義は勝手な解釈をするなという通達が何度も出ている。つまり、それだけ勝手な解釈が多く、特に似非第三者委員会による横暴な解釈で、いじめ認定が進まず、再調査委員会でいじめが認められるケースが多数見受けられるようになった。
正当かつ公式な解釈は、方程式のごとくハッキリしているのである。
- 一定の関係性があり
- 何らかの行為があって
- 被害者が心身の苦痛を感じている
という3つの条件がそろえば、「いじめ」なのである。つまり、本件で言えば、
- 同級生もしくは同学年での出来事
- タオルが盗まれたものだという言いがかりをつけられ、犯罪者扱いをされる
- この出来事によってXさんは心身の苦痛を強く感じ登校できなくなってしまった
というように3条件がそろっているのである。
校長による脅迫
入学当時から続くいじめの状況と冤罪容疑をかけられ犯罪者扱いを受けた事で学校に通えなくなってしまったXさん。
しかし、学校はこれをいじめと認めず、放置という手段に出たのである。
いじめに関する申告をしても相談をしても一向に対応しないのである。そればかりか、いじめが蔓延している学校に登校するように迫るのだ。
その証拠に、Xさんがいじめの中心人物の1人から嫌がらせをするように強要されていた別のターゲットは、Xさんが不登校の間に、暴力的行為や集団による無視、集団によるさらし者行為などを受け、不登校に陥っているのだ。
こうした学校の対応にXさんの担当医も学校の対応に苦言を呈したほどであった。
そして、校長から手紙が来たのである。
その内容は、学校に相談できなければ、他に相談先はあるというものが中心であるが、追伸にはこのようにあった。
この背景には、Xさんの家庭が母子家庭であったということにある。
関係者によれば、この中学校の管理職の間では、母子家庭は貧困層であり、虐待が蔓延していると話していたそうだ。
開示請求で得られた資料によれば、この手紙から間を開けず、教頭が学校名義で児童相談所へ通報をしている。
一方、児童相談所は「部活でのいざこざで学校に来ていない」など全く関係のない理由で申し出があり、Xさん保護者から直接の相談を受けて、虐待のわずかな可能性もないと判断しており、学校が恣意的に虚偽の情報を通知してきたと判断している。
つまり、学校の管理者に当たる校長と教頭は、いじめの調査や対応を棚上げし、予防策すら取らずに放置。そのために新たな不登校も生じさせたのである。さらに、登校指示に従わず、いじめ調査の対応を迫るXさんと保護者を疎ましく思うのみならず、不登校の原因は家庭にあると差別思考で、教育機関からの通報が強権であることを利用して、いじめの被害家庭を貶めようとしたのである。
卒業文集指導という名の言論統制
結果として、Xさんは中学1年生の6月、冒頭のタオル窃盗冤罪いじめ事件で、学校に一度も通えないまま卒業の時を迎えたのだ。
その間、校長が変わったが、新校長とは一度もあったことがない。担任も変わったそうだが、その名前も知らない。修学旅行や受験の説明会もいつ行われたかも知らぬままであった。
さらに市教委の指導がなければ、教科書すら送られてきていなかったという状態であった。
学校は被害者に対応したと言ってのけるが、これは対応とは言わない、放置という。
診断書を提出した女医さんが教頭に脅され、病院を変えなければならなくなったということもあったのだ。
ネットを監視し、それっぽい投稿を見つけては監視するという行為にも及んでいる。
こうした事実は、証言も含め複数得られているが、枚挙にいとまがない。
そして、卒業文集である。
冒頭に示したように、卒業文集の指導という名目で、Xさんの作文は、卒業文集には掲載されていない。
Xさんの保護者は、「Xさんの作文が単に貼り付けられているだけの卒業文集」と「他の子が受け取ったXさんの作文が削除されている卒業文集」の2冊を後の証拠のために購入したのだ。
作文の内容はクラスや特定の個人に対する恨みつらみが書いてあるだろうか?
むしろ、こんなひどい状況の中でも経験として糧としよう、感謝しようという内容である。
しかも、Xさんは入学してからおよそ2か月で不登校状態へ押しやられてしまっている。
いじめを受けていた2か月間に、何の良い思い出を見出せというのだ。
いじめの被害者は何も言うな、黙っていじめられていろとでもいうのだろうか。
ちなみに、この件に関係した管理職や教職員は、出世し天下りにあるということだ。
市長は今すぐいじめ監察課を設置せよ
全国を回っていて強く感じるのは愛知県下における教育行政機関の強さだ。
政治家にとっては票田ともいえる教育関係者の力は他県と比較して肌感覚ではあるが、強いと感じることが多い。
しかし、それと同時に、本件と同様に、一縷の望みもないといういじめ事件の相談が大量に発生しているのだ。
名東区の中1女子転落事故も然り、この事件については、私もNHKの密着を伴って、その対応のひどさを糾弾した。
これは多くの被害者らの声の代弁である。
「もはや、教育委員会にはいじめに対応する能力はなく、その直下にある調査機関には、いじめ防止対策推進法を正しく運用することはできていないと言える」
「教育委員会直下の調査委員会を第三者委員会だと言っているのはおかしい。利害関係のある第三者ではないか」
「いじめかどうかは我々が判断するというが、加害者の言葉ばかり信じ、被害者には立証責任があるという。お前らは裁判官か。調査する人たちではないのか」
など、いじめ認容に至った被害者も同じように話すのだ。
大阪寝屋川市は、市長部局直下に監察課を新設し、いじめ対応の一切をこの監察課が行うことになっている。この成果は目覚ましく、教育委員会や学校は予防に徹しているのだ。
名古屋市は今すぐ、この制度を取り入れ、児童生徒を守ること、いじめ被害者も加害者もこれ以上増やさないことに注力してほしいと思う。
編集後記
こうした事案では、迅速に利害関係のない第三者委員会を設置し、速やかに調査をする必要があります。この場合は、いじめについてと学校対応についてが調査の対象になるでしょう。
特に大都市圏を有する地域では、教育委員会直下に調査委員会が設置されています。
ただ、この委員会はその処理数が異常に多く、1件当たり数分しか会議では時間を割けないということがザラにあります。
制度を作ったのはいいが、いざ機能するかと言えば機能しきらないということがあります。さらに第三者委員会には大きな問題があるケースが多いのです。
平成30年度総務省はいじめ自死事件を調べ、いじめの定義を学校などが勝手に解釈したことによって対応が遅れたことが大きな原因であるとして、文科省と法務省に勧告を行っています。
つまり、いじめの定義を勝手に解釈するなということです。いじめの定義とは、本文中にも書いた通り、
- 一定の関係性があり
- 何らかの行為があって
- 被害者が心身の苦痛を感じている
という3つの条件がそろえば、「いじめ」となります。
調査委員会などの役割は、その行為と被害者の心身の苦痛の因果関係が中心となるわけです。つまり、その背景や加害側の「そういうつもりではなかった」というのはいじめの有無とは関りがないのです。
それには被害の大なり小なりは出てきますが、立法の趣旨とその背景においては、いじめを広義に捉えることで最悪の事態を防ぐということや、加害行為となった児童生徒への指導という面を含めていますから、大きかろうが小さかろうがいじめはいじめでとらえる必要があるわけです。
ところが、特に第三者委員会や調査委員会の委員長は、裁判官のごとく、いじめかどうかを判断するのは自分であると万能感を示すことが多いのです。これでは、いじめの定義はないがしろにされ、属人化したあいまいな基準によっていじめの有無が斟酌されてしまうのです。
全国的にみて、いじめの調査委員会や第三者委員会の結果が再調査によって覆されています。つまり、前任委員会は誤った判断をしたことになると同時に、そのために被害者を貶め、さらに反論するために弁護士さんなどを雇うわけですから、経済的負担を負わせた加害委員会となり得るのです。
私は再調査への道のりを作ることが多いので、こうした現実は多く見てきています。
ハッキリ言って、異常です。
こうした異常世界が収束し、正常に戻ることを願います。
image by: Shutterstock.com