以前掲載の「ネットは大荒れ。いじめ裁判で埼玉県川口市が放ったトンデモ発言」等の記事でもお伝えしているとおり、埼玉県川口市の中学校でいじめを受けていた生徒が市を訴えていた裁判で、川口市サイドが「いじめ防止対策推進法に欠陥がある」と主張し話題となりました。この裁判はまだ続いていますが、今度は同市教委が自ら処分した内容を、裁判では真っ向から否定したのです。これまで数多のいじめ事件を解決へ導いてきた現役探偵の阿部泰尚(あべ・ひろたか)さんが、自身のメルマガ『伝説の探偵』で、「コント」にしか思えない教育委員会や市議会、行政の対応を暴露しています。
とんでも川口市、またやらかす。
埼玉県川口市立の元男子生徒が在学中に不登校になった問題で、同級生からのいじめや部活動の顧問からの体罰をめぐって、学校や川口市教委(市教委)の対応が不適切であった件の裁判が未だに続いている。
この裁判は、とんでもない主張が市側から飛び出すことで有名だ。
例えば、「いじめ防止対策推進法は欠陥法だから守らなくてよい」と裁判で市側が主張し、霞が関に呼び出しを受けるや、「詭弁でした、ごめんなさい」と言ってみたり、警察の資料が間違っており訂正をするなど、いじめを巡る劣悪な行政機関や関連機関のいい加減な対応が露呈しているのだ。
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この訴訟は、マスコミメディアからは 「まるでコント」 と揶揄されたり、いじめの専門家の間では、いじめの酷さも然ることながら、 教育行政の酷さを表す表現として、「川口級」 が最高位に酷いという意味で使われているのだ。
さらに、この訴訟を巡っては、市議会へも問題が波及し、議会での対立が生じたりもしている。正直なところ、裁判をウォッチしていると市議会がなぜ市側の主張を止めないのか疑問が生じる。それほど酷いのだ。
教師からの体罰
被害者であるA君はサッカー部の顧問からも体罰を受けていた。
これについて、この問題の教師は「頭をコンコンと軽く叩いた」「頭を撫でた」「耳を指で挟んで軽く引っ張った」くらいで体罰というものではない、と主張したが、実は市教委が教育長名義でしっかりと訓告処分を下しているのだ。
つまり、体罰は事実としてあったが、 問題の当事者は、いざ裁判となったら否定したということになる。
体罰としての認定は2回もあり、体罰教師が右こぶしの指側でA君の頭頂部や左側を叩き、左手の親指と人差し指でA君の右耳をつまんで引っ張ったというものであった。
市教委は、これを処分しているわけだから、体罰自体を否定することは普通出来ないと考えるのが普通だろう。
自ら処分した内容を否定する市教委
ところが、市教委はさすがに「コント裁判」を演出するだけはある。
自ら処分した内容を、裁判では真っ向から否定したのだ。市教委が処分の文書を作成し、事実として訓告処分をしたのにもかかわらず、裁判ではこれを否定する。一体どっちが本当の事実なのか、市教委としての処分はいい加減なものなのか誰もが疑問に思うだろう。
A君の保護者によれば、 「市教委が顧問を体罰として処分しているにもかかわらず、体罰の事実はないと主張するのですか?」と市側の弁護士と市教委に質問をすると、「はい、その通りです」と答えたそうだ。
さらに、 埼玉県教育委員会では、市教委に対して体罰の事実がないというなら、処分の際に出された報告書は何だったのか説明を求めていますが?との問いには、「係争中のため答えられません」と答えたそうだ。
もはや、ああ言えばこう言う、それもすべて筋が通らない、裁判用の特別答弁を繰り返しているのだ。
ハッキリ言う、こんなコントのような醜態をいつまでさらすのだろうか。嘘つきに教育をつかさどる資格はない。
なぜこんなことが許されるのか?
教育行政機関には上下関係が基本的にないのだ。すべては独立した機関であり、 文科省は基準を示すものの、その指導は事実上「とてもやさしいアドバイス」に過ぎない。
例えば、大阪市の事案では、いじめ重大事態における第三者委員会についての規則は、いじめ防止対策推進法で運用するのではなく、「執行機関の付属機関に関する条例」で運用するという通知が被害者のもとに来ている。
つまり、地方分権として教育行政は独立しており、その地域ごとに大きく基準と乖離したとしても、明確な問題として大問題にでも発展しなければ何も変わらないのであり 、詭弁もいかさまも通用する世界なのだ。
例えば、新型コロナ感染症による休校で注目されたオンライン授業でも、政府から予算が出ていても、端末や通信インフラの整備には市議会などの承認が必要であったり、いじめ対策についての条例の制定が必要だったりする。
こうしたことで地域格差は確実に広がっており、いつでもオンライン授業ができる学校と、きっと4、5年経ってもできない地方で差が生じるようになっているのだ。
当然、いじめ対策についてもこの格差は顕著に出ており、児童生徒の安全安心が確保されていない地域は無数にある。
もはや「教育行政は人権なき王国である」と表現する保護者もいるほどだ。
いま良いのは単純にラッキーなだけ
僅かばかりの期間の夏休みに入った時、学生のいる家庭では、子供が家にいる機会も多くなっていただろう。「うちの子は大丈夫シンドローム」気味であっても、わが子がのんびりしている姿を見て安心する保護者も多かったに違いない。
しかし、それは単純にラッキーなだけだと思っていた方がいい。
いざいじめの被害者になったら、体罰の被害者になったら、その先は、川口市の被害者と同様の立場になるかもしれないのだ。
今、 大人たちにできることは、全てを他人事にしないことだ。対岸の火事ではない、まさに真横にある危険であり、落とし穴だと考えた方が良い。
私のところに寄せられるいじめの相談では、大半の保護者がこう言う。
「まさか、こんなにも学校や教委の対応がめちゃくちゃだとは思いませんでした」
「いじめの定義も知らない担当者が出てきて驚きました」
みな自分のところは大丈夫だと思っていたのだ。
いじめ問題を話すと、よくある質問に「いじめられる子の特徴ってありますか?」というものがあるが、 正解は「いじめは加害者の選択である」。
つまり、いじめは、いじめてやろうという加害者の行為が全てであって、これは体罰も同様なのだ。
そして、川口訴訟を見ればわかるように、いざとなれば行政としてしっかり処分して文書が残っていても否定したり、県教委から質問されても答えないということが通用してしまい、誰も責任を取らなくていいということが起きている現実を直視すべきなのだ。
もしも、「こんなのおかしい」「変だ」と思うなら、これを変えるのは専門家や御上(おかみ)ではなく、我々市民の声を政治に反映させなければならない、ということを忘れてはならない。
編集後記
私の記事を読んで「これが事実だとするならば」という前提を書いてから意見をいう人がいます。ハッキリ言います。事実です。行政文書や開示された公文書に基づいているところも多くありますし、証言の録音や議事録も多く私の手元にはあります。
こういう書き方をする人は、全てが他人事であり、経験不足から想像する力が欠如しているのではないでしょうか。
いじめ問題や体罰問題は、多くの方が他人事であるように私には思えます。
「あー、こんな酷いことが起きていたんだ、可哀想だな、被害者の人・・・」
その実、私もこうした問題にかかわるまでは他人事でした。
テレビの画面の先や新聞記事の向こうで起きていることは、目の前で起きた事ではありませんから、なんとなくの情報としてとらえていたのです。
ただ、問題に携わるうちに、このなんとなくの他人事というのが多く事実を歪める権力に利用され、本来問題としてすぐに是正すべきものが放置され続けてきたということがわかりました。
ある県では、被害者遺族が記者会見をしましたが、マスコミメディアが全て握りつぶしたという事実も浮上しています。権力の連携が進めば、本来第三の目として機能するはずの報道すら機能しないのです。
しかし、今はSNSがあり、個人が発信できるようになりました。それによって、そんな事実があったのかと驚くことも多くなってきているはずです。もちろんリテラシーは必要ですが、被害者や遺族が発信するものの多くは主観的であっても、多くの事実が内包されています。
私たちは、少しでも関心があることであれば、投票としての政治参加や社会的な個人発信ができるSNSで、自由に議論してよいと思うのです。そうした議論や意見の主張が大きな局面を変えることもあるわけです。
そのために私は、脅迫や嫌がらせを受けつつも、事実の発信を続けています。私にできることは、調べ、発信し、被害者などに寄り添うことだけです。
一人ができることはごくわずかだと思いますが、それをするかしないかは大きな差だと思います。どうか読者の方々も自分なりの第一歩を踏み出してもらえればと思います。
もう第一歩は踏んでるぜ、という方は、もう一歩、もう一歩と歩みを進めたら凄いと思います。
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