いま、日本中の教師たちが窮地に立たされています。いじめ問題に真摯に向き合えば、校長や目上の教師たちから妨害され、部活の顧問や残業など、労働環境も改善される余地はない状況のようです。今回のメルマガ『伝説の探偵』では数多くのいじめ問題を解決に導いてきた現役探偵の阿部泰尚(あべ・ひろたか)さんが、学校の現場で出会った教師たちが疲弊している現状を紹介。さらに、世界的に見ても教師の数が足りないとするデータや、デジタル化の進まない教育現場の問題点を指摘しています。
圧倒的に教師が疲弊している
あるいじめ事案で公立小学校の教師と面会した時のこと、その教師は息をするのもやっとというほど、疲弊していた。聞けば、いじめが発生する以前からほとんど休めず、寝る時間も少ないのだそうだ。
一方、現在の学校の様子などを伝えてくれる教員も、中学校の教員の場合は、部活の顧問で休みがなく、手当もないとぼやく。持ち出しも多く、唯一の救いは生徒たちとの関わりだという。
先日もLINEで現役教員と連絡を取ったが、夜の22時ごろになっても職員室から出られないのだとぼやいていた。
いじめ問題を通じて学校と関わっているが、ワークバランスに余裕があるという教師には、確かに出会ったことがない。皆、疲弊しているというのが現場にいる肌感覚だ。
上司によってすり潰されてしまった小学校の教諭
いじめ問題で保護者と同行することになった、ある県の公立小学校では、若い教員が担任であった。
副校長と担任との面談という形であったが、担任はほとんど発言しなかった。印象的だったのは、面談前に泣いていたのか、鼻が赤く目が腫れているということであった。
保護者の話によれば、この若い担任はいじめ発覚の当初はよく話を聞き、よく動いていたそうだが、なかなか止まらない状態の中、電話の対応などでトーンダウンしはじめ、急速に対応が変になったそうだ。その変わりぶりから、保護者はこの教師はダメだと思ったと私に話していた。
しかし、副校長と途中から面談に参加した中年の学年主任の話は具体性がなく、いじめについては否定的であったことから、私はこの担任の考えを後日、帰り道で聞くことにした。
この担任はいじめを止めさせるために、個別面談ではなくアンケート調査をしようとしていた。理由は、いじめの加害者が単純な問いでは正直に話す子ではなく、下手にあたるとより強いいじめをするだろうという普段の観察からであった。
もちろん、クラス内での席替えはすぐに行い、それとなく味方になりそうな子には声をかけたそうだ。しかし、アンケート調査は副校長からダメだと言われ、学年主任からは「クラス運営を失敗したからこんなことになる」と毎日のように叱責された。
そこで、個別に面談をしたり、先生が教室にいない時間にあえて行くようにするなどの行動をとった。いじめ予防の教材を使って授業もしたそうだ。
しかし、これには別の保護者からのクレームや問い合わせがあって、すぐにやめるようにと副校長から圧力がかかった。さらに、いじめの中心的加害者である子の保護者から、「うちの子を犯罪者扱いしようとしている」とクレームが入り、どうしたらよいかわからなくなってしまったのだということだった。
私が同行した面談日もその時間の前まで、「何が間違っていたのか、この場で答えろ。」と副校長と学年主任に詰め寄られていたそうだ。
このいじめ事件は、校長を巻き込み、対応できなくなった校長から教育委員会に連絡されて指導主事を入れた。その間に私はこの市の市長と面談し、教育長から指導課の課長を紹介させるという対応を取ったことで、慌てた学校が強烈な指導を加害者側に入れたことで、収束に向かうことになったが、結果として、精神的な苦痛から担任は翌年教職を離れることになった。私は彼女に対する上司のパワハラも問題にしたが、見えない形での嫌がらせや職員室内の圧力に堪えきれなくなったということだった。(現在は私立校の教師として働いています。)
懸命にいじめ対応をしようとしていた教員が孤立させられ、圧力をかけられて、結果的にすり潰されてしまったということだろう。
世界的にみて教員は圧倒的に足りない
世界に目を向ければ、日本の教員の数は足りないことがわかる。OECDのデータをみると、1クラスの人数は、世界平均では初等教育で21.6人となっており、日本は28人となっている。公立全期中等教育においては、世界平均で23.7人、日本は33人となっている。
つまり、教員1人当たりとしてみる子どもの数は、日本は多いということになり、世界でも最も高い国の1つとなる。
さらに、初等教育においてのGDPの比率は、日本は2.5%に対して、最も高いアイスランドは4.9%、アメリカは3.7%となり、公教育に対する予算が世界的に見ても低い国であることは明らかなのだ。
少人数学級の提言
もともと日本の公教育において、教室の構成比は問題となっていた。それは、やはり教師1人当たりの生徒数が多いのではないかという問題だ。
しかし、それは教育界の中での駆け引きの要素が強かったように感じる。いわゆる「最近の若いもんは論」があったのだ。狭い世界ゆえに、もともと先生だったものが出世し、偉くなっていくのだが、そういう諸先輩方は多くの生徒をみていたのだ。それが若い世代になるにつれて、人数が多いから目が行き届かないのは、根性が足りないからだ!という論調になる者も少なくはない。
しかし、今の教職を取り巻く環境は数十年前とは格段に異なっている。
現在、少人数学級が再び取り上げられているのは、 新型コロナウイルス感染症の影響が強くある のだ。
そもそも、35人で目一杯である教室でソーシャルディスタンスを保てというの無理があるのだ。
11月13日、 萩生田文科相 は記者会見で、 「令和の時代の新しい学校の姿として、私としては30人学級を目指すべきだと考えている。」 と話した。
僅かではあるし、世界平均には程遠いところはあるが、少人数学級に弾みをつけたいといったところだろう。
ところが、様々な研究やアンケート、統計によれば、多くの結果は25人から28人学級がバランスが良いとされている。もちろん、過疎化が進む地方では、この人数を保てない、より生徒数は少ないというところもあるが。
文科省と財務省の駆け引き
しかし、公教育においてクラスの定員を減らすということになれば、新たにクラスを編成する必要があり、担任制を取る教育制度では必ず教員を増やさなければならなくなる。
こうなれば、当然に予算を得なければならないだろう。
過去、 財務省は少子化を理由に、子どもの数が減るのだから当然に教員の数は減ってよいので、予算を削るという方針を示した ことがある。一方で、英語教育やプログラミング、様々な教育カリキュラムが導入される上、いじめの対応などで教員を取り巻く環境はブラック化しているのだから、当然に予算を増やして教員を増員すべきだというのが文科省の立場だ。
ここにきて、少人数学級が出れば、文科省と財務省は熾烈な駆け引きを行うことになろう。
何とも情けない話ではあるが、事実としてすでにこの駆け引きは始まっており、今後も継続するのだ。
進まぬデジタル化
教員の負担を軽減させようという動きから少人数学級を論じるのであれば、進んでいないデジタル化をまずは進ませるべきだろう。
常に後手になる日本の行政では、少人数学級を文科省が財務省から勝ち取っても、導入は3年後、5年後となろう。新型コロナウイルス感染症対策のためと、今は銘打っても、その頃には、もう過去の出来事となっている。
特に 教育行政の主体は、自治体 である。よりコンパクトな行政区域の中で、どこか先んじる市区町村、都道府県が出てくれば指標となる。
そもそも、学校は未だに紙社会であり、判子社会である。学校のコピー機は今でもフル稼働で動いているに違いない。
古くから出席簿というのも紙である。紙で取ったものを、パソコンに打ち込みなおし、統計を取ったりするのであろうが、そもそもデジタル化していれば、打ち込み作業は無くなるのである。
学校だよりや通信紙をデジタルに切り替えれば、それだけ紙や印刷代が減り予算削減にもつながる。
一般企業であれば、効率重視、予算重視でみるから、いの一番に始める事が現代学校社会では実現されていないのだ。これをするだけで、大幅に業務効率が上がりコストの削減につながるだろう。
その分、生徒一人ひとりと向き合う時間に当ててくれれば、いじめなどの問題行動も減るのではないかと思うのだ。
文科省の報告によれば、担任がいじめを発見した率は、全国平均で10%程度になっている。忙殺される最中で、およそ1割のいじめを発見できているのであれば、発見率を上げることも期待できるだろう。NPO法人ユース・ガーディアンの調べでは、いじめがあったときに相談する対象は担任教員がおよそ8割と圧倒的な割合でもあった。
保護者の身からすれば、一般雑務などどうでもいいから、わが子らに目を向ける時間を増やしてほしいと思うだろう。
教育行政はプロボノを募れ
文科省にはやってもらいたいことは多数あるが、予算確保に頑張ってもらえばいい。
それより、教育の主体となっている地方自治体には勇気をもって、デジタル化を進めてもらいたいところだ。ただ、ここにきて未だデジタル化が進まぬところもあるだろう。
地域行政が社会に追いつき始めているところもあれば、未だに何も進まぬというところもあろう。一方で持っている予算も異なるから、できることできないこともあるだろう。
また、老害になりつつある首長周辺などはデジタル化に苦手意識があり、食わず嫌いを起こしている可能性すらある。
デジタル化することへの意味や具体的なメリット、気を付けるべきデメリットなどが明確にわからないのであれば、 「プロボノ」 を募ればいい。
プロボノとは、各分野の専門家や職業上で専門知識や経験を持っている人が無償でそのスキルなどを提供するという社会貢献型のボランティアのことをいう。
人材宝庫と言われる日本、少し探せば専門知識や職人的な技術者、すでに引退したがまだまだ現役でも頑張れそうな人が見つかるはずだ。
時折、私のところにはNPO法人の方で雇ってほしいという人が来る。いじめもそうだが、教育全体について、何とかしたい、力を貸したいと思っている大人は多くいることを、明日を創る教育行政にかかわる人たちは忘れてはいけない。
編集後記
少人数学級の議論や大臣の記者会見があり、その後知り合いの報道マンと話をしていた時、彼がまず出してきたのが、派遣会社の動向でした。
論理としては、「コロナの影響で少人数制はおよそ推奨されるだろう。→一定の予算規模を得るために裏交渉があるはずだ。→その背景には、どうせ正規の教員は簡単には増員できない→結果として派遣や講師採用が激増するはずだ。→政府お抱えに近い派遣会社が教員免許や専門分野の資格、経験者に触手をのばす→裏交渉があれば、先んじるために派遣会社らはそうした人材を確保しようと動いているはずだ。」ということでした。
確かに役所の窓口業務は派遣の人がやっているという統計もあります。これもある種の公共事業なのでしょうね。
これについては少し取材を重ねてみましたが、特に目に見える動きはありませんでしたが、少人数学級の再熱はまだ始まったばかりです。今後さらに熱を帯びれば、こうした裏の動きが激しくなるかもしれません。
しかし、立場によって物事の見え方が違うのだという良い勉強にはなりました。
なるほど、この報道マンの考えで言えば、教育の質はどうであれば、結果として笑うのは派遣会社ということになりますね……。
それにしても、学校業務のデジタル化、効率よくコストすら削減できる対策はいつになったら実現するのやら……。デジタル担当相の河野さんにもぜひとも目を向けてもらいところですが、今すぐできる事は学年単位、学校単位でもできる事もあると思うので、現場の方々にはぜひとも声を上げて、行動に移してもらいところです。
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