もう一度言います。「新聞法」や「雑誌法」は現代日本ではありえないんです(戦前には『新聞紙条例』などのメディア制限法が活字メディアにもありました)。逆に言えば、「放送法」というのは、「希少な資源を独占使用する代わりに、放送局が守らなくてはいけない事柄を定めた法律」以外に解釈のしようがないし、それが長年、まともなメディア学者や放送事業従事者の認識だったんです(今では別のことを平気で言う『元最高裁判事』なんて肩書を持つ困った『自称』法律家もいます(笑))。
「放送法は放送局の言論の自由を守るための法律」なんていう考え方は、ごく最近、それも頭の中にお花畑があるような人が言い出した間違った意見です。もう一回言います。新聞の言論の自由を守るために、「新聞法」を作るなんて発想ありえますか?
そして、この「脳内お花畑理論」の間違っているところは、こんなことを言い始めると、「政治的公平性」等を義務付けた放送法の改正論議が起きず、現状を放置することにつながるからです。私は、これだけ多メディア化が進んだ現代日本で、放送局という報道機関にのみ政治的公平性を義務付ける意味は、もはや殆どないと考えています。
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『辛坊治郎メールマガジン』第258号(2月19日発行)より一部抜粋
著者/辛坊治郎
「FACT FACT FACT」をキーワードに、テレビや新聞では様々な事情によりお伝えしきれなかった「真実」を皆様にお伝えします。その「真実」を元に、辛坊治郎独自の切り口で様々な物の見方を提示していきたいと考えています。
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