長らく中華帝国の属国であった朝鮮は、日清戦争に日本が勝利したことで、はじめて独立を果たしました。中華の影響力が残る「漢城」という表記より、王のいる都市という「京城」のほうが、よりふさわしいと思われたのも当然でしょう。
戦後、もしも「漢城」に戻したいと思うなら、いつでも戻せたはずです。しかし韓国は漢字表記のなかった「ソウル」という呼称を使うことを他国に求め、一方で漢字を廃止したために、長らく「ソウル」を示す漢字がないという状況が続きました。
中国では相変わらず「漢城」がよく使われてきましたが、2005年にソウル市は「首爾」という字を当てると発表しました。
韓国側としても、いかにも中国の属国にあったことを示す「漢城」を使うことは納得できなかったのでしょう。そのことからしても「京城」という呼称を「日帝残滓」とするのは無理があります。
しかも「漢城」の中国語発音は「ハンチェン」ですが、「首爾」は「ショウアル」で、「ソウル」の音に近いわけです。しかし、音を優先させたため、漢字の持つ意味や歴史性・伝統性などは失われてしまいました。日本が歴史的に使われてきた「京城」に改称したのとは、まったく異なります。
韓国では、日帝時代に測量のために地面に打ち込まれた杭については「日本が朝鮮半島の気脈を断とうとして打ち込んだもの」として、現在でもこれを引きぬき、日本時代に植樹された樹木も伐採するようなことが進められています。また、韓国軍内の暴力事件も日帝時代の名残だと、日本のせいにしています。