キムチや米へ交換?北朝鮮の飢饉を救う「通貨」となった日本産のレトルトカレー
では、北朝鮮にカレーはどのように広まっていったのでしょうか。
時は1960年、日本政府は韓国、台湾、中国の人々に対して国外退去を強いていました。
そんな中、日本にいた多くの韓国人は、アメリカが支援する李承晩政権がある韓国よりも、北朝鮮の方が良い逃げ場所になるのではないかと考えました。
そこで、日本にいる韓国人たちが自分の愛する家族に日本のレトルトカレーを北朝鮮へと送るルートを作ったことがきっかけになり、北朝鮮でも日本のレトルトカレーが普及したということです。
北朝鮮に渡った人々は、日々生きていくことだけで精一杯の劣悪な環境にいましたが、政府は日本への帰還することを許しませんでした。
日本から送られてくるレトルトカレーは、食料としてだけではなく、のちに通貨として、あるいはキムチ、米、肉といった主要な食料品と交換するための物として使用されるようになります。
さらには朝鮮労働党の幹部にワイロ的に贈呈されるものとして、闇市場の売買品として、北朝鮮の人々にとってカレーは死活問題であり、困窮した生活を支える重要な食料であり、そして通貨でもあったようです。

ある旅行者が写真におさめた北朝鮮のレストランのカレー
マーカスさんの友人Hye-rim Koさんは、最近北朝鮮から亡命してきました。
その彼いわく、
「私たちは日本からの移民の真似をしようとしていました。彼らが着るもの、食べるもの…、ただただ興味があったんです。なぜなら彼らは自分たちより良いものを食べていましたから」
と、当時を振り返りました。
また、日本人の友人であるタナカ・サズカさんは1960年に北朝鮮へおくられた日本人の内の1人です。
彼女は小さなレストランを開き、そこでカレーを振る舞っていたのですが、大変な人気となり、美味しいカレーを作るシェフとして有名になったとのこと。
普段なにげなく食べているカレーですが、飢饉の時代を支えたといったような歴史や背景があってこそ現在のカレーがあるのだということを今後は噛みしめて食したいものですね。
カレーは姿かたちを変えインド、英国、日本、北朝鮮へと伝わっていきました。
その土地土地に好まれる味を追求しては、ローカルのカレーとして変化を遂げ、国を問わず多くの人々に愛される食べ物となりました。
このように海を渡り、世代を越えて伝えられてきたカレーライスだからこそ、過去も現在もそしてこれからも多くの人々の口を楽しませてくれることでしょう。
北朝鮮のカレーを食べる機会はそうそうないと思いますが、もし旅先で各国のカレーを見つけたら、このような背景を理解しながら試食してみると、より各国の「スパイス」を感じることができるのかもしれません。
image by: Shutterstock
source by: NPR , 海上自衛隊, Wikipedia , The Silk Road Gourmet
文/臼井史佳