しかも、改正法の「可視化」には例外規定がある。「取り調べの録音・録画義務」の項で、録音・録画をしなくていいケースを4つあげているが、そのうちの1つは、以下のようなものだ。
被疑者が記録を拒んだことその他の被疑者の言動により、記録をしたならば被疑者が十分な供述をすることができないと認めるとき
被疑者が記録を拒んだときは仕方がないが、「その他の言動」というのは食わせ物だ。どんな言動でも録音録画をしない理由としてこじつけ得る。要するに、録音録画するかどうかは捜査側の判断しだいとなりかねない。
浜田教授は言う。「部分的な可視化、例外をもうけるような可視化、編集された可視化は非常に怖い」
改正法には、さらに深刻な問題がある。
警察や検察は「取り調べにおける可視化のデメリット」を強調し、それを補うための交換条件のようなかたちで、「司法取引」や「通信傍受」を法律に潜り込ませたのだ。
不起訴にしてやるから喋れ、などと持ちかける「司法取引」は、ウソの証言で無実の他人を事件に引き込む恐れがある。
「通信傍受」は、これまでの4類型に詐欺や窃盗まで9類型を追加し、盗聴による捜査を大幅拡大するもので、市民のプライバシーにとって脅威であるばかりでなく、冤罪に巻き込まれる可能性も強まる。
それにしても、もともと冤罪を防ぐのが目的だったはずなのに、どうして捜査権力の「焼け太り」を許すような結果になったのだろうか。