信州石造物研究会の金子文平さんは、「素人の彫刻が多かったということも考えられるが、もう一つ儀軌を積極的に無視してやろう、という気慨もあったのではないかと思われる。従来の造形にとらわれない、また村落共同体の規制下にない自由な発想・造形が修那羅の石神仏像に投影されているように思う」と、その著書の中で述べている。
これら石像、自由な発想の産物なのであろうが、江戸時代末期のチョンマゲ姿の農民の作とはどうにも結びつかないと感じる面もある。ともあれ、修那羅には、土俗信仰のすべてがあるともいわれる。心にしみ入るよう美しい像・稚拙ながらほのぼのとした気分にさせてくれる姿、そして恐ろしさの中にもユーモラスな情緒をもつ像…。人によっていろいろな見方が出来るし自分の気にいった像を心ゆくまで鑑賞したり、同じ願いをこめ祈ることもできる。修那羅が多くの人を引きつけてやまないのはそんな理由によるのだろう。
小冊子の取材で、初めて訪ねてからもう30年近く経つ。それ以来何回となく訪れているが、その度に新しい魅力の発見があるし、こんな像今まであったかななど、新しい像を見つけることもあるなど興味尽きない。
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