日本人から見れば卑弥呼は「日の御子」です。日本人は昔から天皇のことを日の御子と呼んでいたのです。だから、卑弥呼とは天皇のことなのではないでしょうか。
われわれが小学校のときに歌っていた紀元節(神武天皇が即位した日として明治6年に定められ、昭和23年に廃止されるまで続いた祝日、現在の建国記念日)の歌の三番に「天つひつぎの高みくら(天津日嗣の高御座)」という歌詞がありました。天皇は天津日嗣の人だから日嗣の御子となって、日の御子と呼んだのです。
しかし『魏志倭人伝』の作者は野蛮人の国の日の御子だから「卑」という字を使って卑弥呼としたのでしょう。本当はお日様の「日」だったに違いありません。それが女王であったというのは、日本の神話では天照大神という女神がいたという話が伝わっていて、それと重なって女王の卑弥呼になったのだろうと私は想像しています。
このような想像の産物が『魏志倭人伝』なのではないかということは昔の人も考えたようで、第二次世界大戦の前までのまともな日本の歴史家は誰も『魏志倭人伝』を取り上げていませんでした。
ところが戦後になると、とくに1970年代あたりは中国大陸や朝鮮半島を重んずる風潮が強くなって、あたかも邪馬台国や卑弥呼が『魏志倭人伝』に記されたとおりであったようにこじつける仮説がたくさん出てきました。しかし、前記のような理由から、こういう仮説は無視するのが正しいように思います。
『魏志倭人伝』を取り上げるならば、『古事記』や『日本書紀』のほうが遥かに信頼できます。なぜならば、『古事記』や『日本書紀』は日本で書かれた日本の歴史書なのですから。