通常、地方議会議員選挙とはいえ、国民の1割が集中する東京の選挙は、国政選挙並みに扱われ、選挙結果に影響がでないように、政権や政党への批判報道は控えられるものです。
とりわけ「放送法」により公平公正を課せられたテレビは、可能な限り公平に報道したものです。テレビの親会社である新聞もそれに準じていました。
とりたてて縛りのない週刊誌は、選挙期間を狙って暴露や告発をぶつけることもありましたが、週刊誌報道を元にテレビが執拗に追うことは、あまり記憶にありません。
むしろ、公平を期するがために、奥歯にものがはさまったように紹介していた記憶があります。
それが今回は延々とひたすらに政権と自民党を批判し続けました。
選挙応援における稲田朋美防衛大臣の発言は論外。罷免されても仕方がなく、これへの批判は当然ながら、下村博文氏への「闇献金疑惑」とやらは、証拠不十分な文字通り「週刊誌ネタ」のレベル。
下村氏は即座に会見を開き、一定の説明責任を果たしましたが、疑惑が払拭されていないかのように報じ、ひいては「政治資金規正法」の問題点を、下村氏に投影して「疑惑」を色濃く演出する報道。
法の抜け穴を利用した政治献金。
という形式に見えますが、そこに現行法においての違法性がなければ、本来的には追及ができない話。ましてや選挙期間中で、下村博文氏は都連の会長。
内容はまったく異なりますが、民進党の党首選挙という、内輪の話に過ぎないとは言え、蓮舫氏に浮上した「二重国籍疑惑」への生温い追及と比較にならない執拗さです。
蓮舫氏はろくに説明もせず、説明も二転三転し、証拠の一切をいまだもって示していません。対して下村博文氏は、その時点で公開可能な内部文書を示して説明をしています。
近代の法治国家における大原則は「推定無罪」です。法律による統治をする以上、明確な法律違反を確定できない限り、被告人の利益を優先するというものです。
逆を考えればわかることです。
「怪しいよね」って疑いのまなざしだけで人を裁ける「推定有罪」が可能となるなら、芸能人や著名人、町内会の有力者が「怪しい」という世論を作り出せば、罪なき人に罪を被せることができてしまいます。
もちろん、政治権力者による扇動も可能となり、こうした権力や民意の暴走を戒めるためにも「推定無罪」は守られなければならないのです。
ところが、モリカケ騒動にせよ、下村博文氏にせよ「推定有罪」。まるでマスコミやテレビによる司法で、それはお隣韓国にあると揶揄される「国民情緒法」の世界です。
いつものことだ、と思ったあなたは正解。
ただし、それでも「選挙期間中」は一定の自粛をしていたものが、ついに歯止めがなくなったのが、今回の都議会議員選挙の報道です。