準備調査
冒頭の被害状況は、私がその日のうちに当事者から聞き取った内容だ。
これを聞き出すまでに、電話で1時間半ほどかかった。
さらに詳細な情報を聞き取るために、現地へ向かうことにして、その予定をその母親と決めた。
まず、本人と会って行うことは、「カレンダー」「学校行事予定表」「本人の予定がわかるもの」を使い、いつ何があったか?ということを埋めていく作業である。
記憶というものは時間が経つほどあやふやになるが、糸口が見つかれば、芋づる式に蘇ってくるものだ。だから、まずは、最も近い記憶から書き出し、思い出した記憶を順序関係なく書き留めていく。
次に、行事やイベント、思い出すきっかけを作る記憶を呼び出す。これを私は「アンカー」と呼んでいるが、アンカーが上手に記憶に絡むと、周辺記憶とも言える細かな記憶までもが浮かんでくる。
このケースで次に行うことは、すでにある証拠類の保管と撮影である。モノによっては鑑定に回すこともあるが、鑑定には照合サンプルが必要なため、単独の証拠のみで鑑定ということはほとんどない。
A子さんの場合、足跡付きの制服はすでに洗ってしまっており、写真の撮影もしなかったということで、それを直接示すものはない状態であったが、目撃者がかなりいたということで、証言ベースでの証明という方針になる。
また、「死ね、ブス」手紙は持っていたので、これを撮影し預かることにした。
そして次は証言など調査協力者を見つけ、協力を取り付けることだが、A子さんの場合、友人グループがあり、他2名の協力はすでに得られている状態であった。
また、この連絡のきっかけを作っている教職員には、私から連絡をして、秘密裏に情報をできる範囲で提供してもらえるように頼んである。
当日中に私は暴力行為の全容と誰が蹴ったかというところまでの証言を取った。
蹴られた本人もわかっていたように、蹴ったのは野球部の男子であり、その指示をしたのが、クラスメイトの中で目立つグループにいる女子生徒2人であった。
この女子生徒は、成績が上くらい、スポーツは適当に万能、垢抜けた感じであり、発言力がある。その保護者はクラスの役員などをしているということで、両人とも学区の中では高収入者が集まる地域で一軒家に暮らしている。
団地やアパートに暮らす彼女らとは、クラス、レベルが違うとでも言いたいのだろう。
ちなみに、調査協力をしてくれた女子生徒は、A子さんが休んでいる間に教科書を捨てられたり、階段から突き落とされるなどした。2人はすぐに担任に相談したが、「気のせいではないか?」と、やる気なくあしらわれ、助けを求める場もないと話し合って、学校に行くのをやめた。
彼女らの保護者はすぐに抗議に出向いたが、ボロボロになって落書きをされて、捨てられた教科書やノートの証拠があっても、誰がやったのかわからないのに、不特定にクラスの生徒を犯人だとするのは、人権侵害だと怒鳴られてしまったということだった。
録音を聞く限り、この男性の担任は、ヒステリックに怒鳴るばかりで、話を聞こうともしていなかった。彼女らの保護者がこれ以上話しても無駄だとその場を後にした気持ちはよくわかる。
私はこの保護者に教科書などいじめの証拠物と録音のデータを持参して、法務局にある人権擁護委員会に人権救済の相談をしに行くようにアドバイスした。
本来は教育委員会なのだが、すでに相談済みで、なんの対応もなかったとのことだった。