冬にうれしい料理の一つ、野菜をたっぷり取れ体も温まる煮込みうどん。子どものころは母親が作る煮込みうどんが「うどん」という料理のすべてだったと懐かしむのは、無料メルマガ『郷愁の食物誌』の著者UNCLE TELLさんです。「母の煮込みうどん」の思い出と、京都で出会ったうどんに衝撃を受けた思い出とが綴られ、この後の展開が楽しみになる「うどんの話」の序章です。
「うどん」えとせとら
その昔の少年時代、うどんといえば母の作った煮込みうどん。このうどんがもうたまらないほど大好きだった。父なんか麺類は嫌いだったけれど、子供たちはよく作ってとせがんだものだ。
釜や大鍋でぐつぐつ煮たうどん。何杯もお替わり、余りに食べ過ぎては翌朝血がみな胃に下がってしまうのか、ひどい頭痛と吐き気に襲われることがたびたびだった。野菜や油揚げが入っていても、あまり肉が入っていた記憶はない。
それはあくまで店で売っているゆであげのうどんでなく、手作りの煮込みうどん。とりわけ格別なともいえる味のでもないかもしれないが、大人になっていろいろな店の煮込みうどんを食べくらべた今でも決して忘れられない味、おふくろの味である。
高校を卒業後、京都へ出て行って学食で初めて冷やしうどんを食べた。まだ貧しい時代、外食することも滅多になく、わが家ではうどんとは、オール母の手作りの煮込みうどんのことだった。街で売っているゆであげのうどんでさえ、それ以前食べた記憶もなければ、釜揚げうどんや鍋焼きうどんにも縁がなかった。家族でましてや一人で食堂で食事をとる機会の少なかった時代、料理とは食事のメニューとは、母の作る献立がすべてだった。

ざるうどん natu, shutterstock.com
もっとも乾麺の冷や麦やソーメンは食べてはいたのだが、ゆで上げの冷やしうどんをつけ汁で食べることは知らなかったので、こういう食べ方もあるのかとちょっとびっくりしたことを覚えている。もっともたまたまそうだったにすぎないが。
なにしろこの冷やしうどん、中身は素うどんにイコールなのだが、なによりも学校の生協の食堂で一番安いし、それなりに味も気に入ってよく食べたものだ。
江戸・東京では蕎麦だが、関西では麺といえばうどんがその代名詞のようだ。京大阪で多分初めて味わったけつねうどん、かやくうどん、しっぽくうどん、鴨南蛮、うどんすきなど印象深い。(つづく)

鴨南蛮 gontabunta shutterstock.com
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