欧米のカネに負けた10月五輪
1964年の東京オリンピックの開催日は10月10日だった。「敗戦から立ち上がった日本をオリンピックの舞台で世界に示そう」との思いがあったのだ。このため日本オリンピック委員会は開会式をいつにするかについて、気象庁が数年間の気象状況を調べ、期間中に最も気候が安定し晴天の日が続いて選手、観客が一番過ごしやすい季節はいつか──と総力を挙げて調査したのである。
その結果が10月10日で、まさに秋晴れのオリンピック日和だったのだ。10月10日はその後「体育の日」となり、64年の東京オリンピックは「オリンピック景気」をもたらし、その後の日本の高度成長の礎を作ったと人々は感じたのである。
しかし20年の東京オリンピックは夏の最も暑い時期に設定してしまった。10月はアメリカ・メジャーリーグの決勝戦があったり、欧州のサッカーリーグとぶつかる上、何よりそれらを中継するTV局が大金をはたいているため10月開催に反対したのだ。結局、日本は欧米勢に押され8月としてしまったわけである。
招致委員会は招致段階の開催計画を示す「立候補ファイル」に、「この時期の天候は晴れる日が多く、かつ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」と記載しているが冗談だろうと言いたくなる。猛暑のことは触れず、ある種のダマシと言っても過言ではないほどだ。昨年7月と8月に熱中症で亡くなられた方は1,434人で、同期間に熱中症により救急搬送された人は8万4,005人もいた。