私は1961(昭和36)年、15歳で陸上自衛隊の生徒となりましたが、日常茶飯事と言ったらオーバーであっても、けっこう非常呼集は経験しています。
熟睡している午前3時か4時頃、けたたましく非常ベルが鳴る。当直幹部と当直陸曹、そして不寝番についている同期生が「非常呼集!」と怒鳴る。2段ベッドから飛び起きて、まず半長靴を履き、そのまま作業服のズボンをはき、上着を着るという順番です。そこで上着の上から弾帯を腰に巻きます。 40人部屋の両端の棚の上に整然と並んでいる背嚢、ヘルメット、鉄帽を他人のものと間違わないようにとり、押し合いへし合いしながら背嚢を組み立てる。この背嚢は映画『プライベート・ライアン』で米兵が身につけていたものと同じで、普通は分解した状態で整理整頓してあります。そして、背嚢を背負うと隊舎の中ほどにある武器庫に走る。自分のM1ライフルと銃剣をとって営庭に走り、整列します。
その様子を当直幹部が腕時計で時間を計りながら眺めている。むろん、場合によっては「やり直し!」です。もう一度、ライフルなどを武器庫に戻し、背嚢を分解して棚に整頓し、ベッドに潜り込む。少しホッとしたタイミングを見計らって、また「非常呼集!」の大音声。 私は経験したことがありませんが、部屋の中に発煙筒が投げ込まれ、何も見えない状態で衣服を身につけ、背嚢を組み立てさせられたケースもあったようです。こんなことをやるのは、もちろん一朝有事の時、日本国と国民を守るための働きができるようにという目的があるからです。
地方公務員の皆さん、あなた方にとっての災害は、自衛隊にとっての有事、つまり戦争と同じなのですよ。県民の命を守るために働くということを忘れないでください。(小川和久)
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