ものが見える、ということは、そこからさまざまな情報を得て、何かを感じる、ということです。その感じ方、感じる度合いは、人それぞれ、状況や能力の違いもあると思います。
いずれにせよ、見せながら話す側としては、聞き手が見て感じた疑問に答えること、あるいは、聞き手が感じそうな疑問を先回りして説明することが必要になります。
具体的には、デザインや配色が奇抜、形状が変わっている、不自然、見慣れないものがくっついている…など、見た目が明らかに、一般的な傾向と違ったり、そもそもどういうものなのか、見ただけではわからなかったりする場合、そこには、何か意味があるんじゃないか?それこそが、そのものの本質、存在意義なのではないか?と普通の人なら思いますよね。
それが、聞き手が、見えていることから感じた疑問です。それに対する答えがなければ、とても不親切ですし、話として成立していませんよね。
よく、どう考えてもおかしな格好の人物に対して、誰もそれを指摘することなく、普通にスルーし続けるようなコント、ありますよね。見た目の疑問に答えない、というのは、まさにあのような、お笑いのネタにもなりえるぐらいの状態なのです。
ですから話し手としては、そういった見た人が感じるであろう疑問を、できる限り話し漏らさぬようにしなくてはいけません。これは、相手が聞きたい話を察知するという、これまでも再三お伝えしてきた心構えと共通するところでもありますね。
このような、見た目の疑問に答える話し方を、簡単な「導入の言葉」で言い表すならば、「なぜこうなっているかというと…」のような表現になるかと思います。ものを見せながら話すときには、「なぜこうなっているかというと…」というような精神を持つことが必須でしょう。
また、見る人が疑問に感じるから答える、というような受動的な在り方だけではなく、そういう疑問を、話し手から提示するような、話の作り方も可能です。
これが、前回の記事でお伝えした、「何か言いたいことがある場合、それを、見た目と繋げた表現に変換していくこと」です。