自分の考えはどこに?「自粛警察」にみる日本人の弱さと全体主義

 

我々は先の緊急事態宣言下、長期に亘る「自粛」を経験した。これがすさまじいストレスになったのは「自粛」とは言い条、それが「他人の目」や「世間」というものに強制されたある種の「罰」の感があったからである。だから、一見矛盾概念的な「自粛明け」、「自粛期間も終わって」というような表現も、テレビなどで出演者が当たり前に言っていいフレーズとなったのである。因みにこれらのフレーズはそのまま「執行猶予明け」「謹慎明け」、「執行猶予期間も終わって」「謹慎期間も終わって」と平行に入れ換えて表現することができる。

日本にファシズムはなかったという人がいる。ファシストがいなかったからだ。それでもやはり日本独自の全体主義は確かに存在したと思う。この「自粛」という語を考えるだけでもそれが分かる。我々日本人は容易に全体主義化する民族なのである。罰則のない日本の「自粛」が奏功した理由について西洋の知識人はやたらと不思議がっていたが、そもそも「自粛」自体が既に罰のようなものなのである。そしてそれを監視するのが「他人の目」や「世間」といったものなのである。

日本政府は卑怯である。そして姑息である。我々日本人のこの性質を知った上でそこにつけ込んだからだ。我々はもう少し「自粛」というものに対して出鱈目でもいいと思う。身に覚えのない罪で罰せられる謂れはどう考えてもないからである。

それよりも大切なのは科学的根拠に基づいた自制である。「自制」という語には明らかに意志の働きがある。明確かつ強い意志をもって自らを制する。今の、そしてこれからの我々にとって何より大事なことである。

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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