また、日本におけるEBPM(証拠に基づく政策立案)は、2016年の官民データ活用推進基本の制定、「骨太の方針 2017」の閣議決定を受けて始動していますが、欧米に比べると中立性を欠く部分が多く、つまみ食い的にエビデンスが利用されていると問題視されてきました。
欧米のEBPMは、研究者はあくまでも政策立案に資するエビデンスを提供し、政策当局者がそれを利用した、「国民のための政策」を進めるのが基本です。
ところが、日本では主な担い手が“霞が関”になってしまっているため、いわゆる「御用学者」が重宝されてしまうのです。
皮肉にも、コロナの感染が拡大し、エビデンスの欠片もない「小中高一斉休校」を安倍前首相が指示し、大混乱になったことで、政策決定における専門家の意見が尊重されるようなりました。
しかし、「専門家のご意見を~」とエックスキューズをつけることで責任を「専門家」に転嫁。挙げ句の果てに「政策を専門家が決めてる」などと、批判が相次ぐことになりました。
「彷徨うポスドク問題」や、先進国の中で唯一、博士号取得者が減少しているという事実。あるいは、優秀な学生が海外に行ってしまうなど、日本では「低学歴化」が進んでいます。
これも「学問」に敬意を払わない国の動きが強く影響している。そう思えてなりません。
かつては「末は博士か大臣か」といわれ、その言葉は子どもの将来を期待して語られました。
しかし、今はそれも死語。
学問を尊重することが、優秀な学者を育て、それが国の力になっていくのに…。
みなさんの意見もお聞かせください。
image by: 首相官邸