相手を批判するだけ。選挙制度の大問題
さて、アメリカの大統領選挙の中で、もっとも真似してはいけないことは、トランプ大統領もバイデン候補も、いずれも「相手方の批判」ばかりであるというように見えることです。
実際に、基本的に「小選挙区制」や「知事選挙」のように、「一人だけが選ばれる」という選挙の場合、相手方候補の票を減らすことそのものが、自分の当選の確率を高めることになるのです。
現在の日本の小選挙区制も同じですが、単純に批判をしていれば当選してしまうという状態が続いてしまいます。
これはそのまま「双方の誹謗中傷合戦」になってしまい、政策を言わない候補が増えるということになってしまうのです。
このことが「現職有利」ということにつながります。
何をしても現職候補は「実績」があるということになりますから、批判しかしていない人は威勢は良いが中身がないという状況になってしまうことになります。
このようなことこそ、まさに小選挙区の問題になってしまうのです。
現在の時点で、トランプ大統領が再選した場合は、今までの政治の継続となるということは大体わかるのですが、一方で、バイデン候補が当選した場合に、どのようなアメリカになるのか全く見えていません。
単純に言えば、「トランプ大統領の政治のアンチ」であることは見えてきますが、それ以上の具体策や、個別の案件に関して、どのように行うのかは全く見えないということになるのです。
現在のアメリカ大統領選挙においては、当然に政策の争いの様相は少なく、具体的に何が行われるのかは全く分からない状況になってしまっているのが大きな問題なのです。
これが大きくなってしまうと、今の日本の政治のようになってしまいます。
野党は単純に批判しかしない状況になり、何でも反対するというような状況です。
批判しているだけなので楽ですし、政策を考えるようなことは全くしなくてよいのですから、政治などにはなりません。
当然に、政治の中において、そのような状況はマイナスしか生まないし、国政が停滞するというような状況になるのです。
今のアメリカがまさにそのような状況になってしまっています。
そこから、もう一つの特徴が出てきます。
単純に「現在のトピック的な事件に飛びついた内容になる」ということになります。
将来の国家像などが全く見えないということになりますから、当然に、現在のトピックばかりになって、そこを大きく取り上げることにしかなりません。
今回の選挙でトピックになったのは、黒人の人種差別デモでした。
しかし、「犯罪者」である黒人が警察官の過剰防衛によって殺されたことと、国家全体の問題は全く異なるのではないでしょうか。
それも、いち警察官の行ったことと、国の将来を決める大統領選挙が同列で語られるということ自体がおかしな話になってしまいます。
このように考えた場合、「国家像を戦わせない」「政策が出てこない」ということは、そのまま「何かの偶発的な事件を使って相手を誹謗中傷する」というような手法が行われます。
つまり、何の事件について、何を根拠に批判ができているのかが見えていないということになるのです。
このように考えると、単純に「討論」も「政策」も存在し無い選挙になってしまっているということになります。
困ったことに、そのような状況で選挙を占わなければならないということです。
マスコミ各社は「バイデン優勢」を伝えていますが、果たしてどうなのでしょう。
実際に、2016年の時に日本のマスコミも、アメリカのマスコミもすべて「ヒラリー・クリントン圧勝」と言っていたのですが、結果はトランプ大統領の勝利になりました。
2016年は、イギリスのブレグジット国民投票も、日本のマスコミの報道とは全く逆の方向になっています。
さすがに今回「バイデン圧勝」というようなことを言っている人はいませんが、しかし、すでにマスコミの報道を鵜呑みにする人もいなくなったという感じなのではないでしょうか。
単純に言って、マスコミは当時から冷静な分析が行われていないということになるかと思います。
このように考えると、もう一方では「マスコミの信用性」ということも出てくると思います。この辺のことも考えていかなければなりません。
いずれにせよ、「次に大統領がどうなるのか」そのような論点を見ながら、次回以降、見ていきたいと思います。
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