知り合いのホテル関係者は言う。政治家の後援会とホテルの取引であっても、後援会の領収書を参加者に出せば収支報告書に記載する必要があるので、ホテル側が後援会の求めに応じてホテル名義の領収書を参加人数分用意したのだろう、と。「ホテル側からすると、請求総額に含まれる一部入金分に該当するので何ら問題はありません」。
つまり、有力政治家の求めに応じて、ホテル側がこうした便宜をはかることはなきにしもあらずということらしい。
しかし、事実はあくまで、ホテルと後援会がかわした契約である。安倍前首相がなぜか国会への提出を渋っている請求明細書をみれば、すべて判明するはずなのだ。もはや、参加者とホテルとの個別契約というのはウソとバレているのだから、これ以上ハラを探られないためにも、明細書を出せばいいのである。
ところが、営業の秘密を理由にホテル側が公開を前提とした明細書の発行を拒んでいる、と言い続けてきたため、野党議員から「ホテルに再発行させればいいではないか」と迫られても、はいそうですね、と言うわけにはいかないのが現在の安倍氏の事情なのであろう。
森友、加計疑惑は、もとをただせば、安倍氏の個人的イデオロギーや心情に端を発している。教育勅語の復活をめざす小学校をつくりたいという願いが森友学園と昭恵夫人との関係を生み、親友の長年の夢であった大学獣医学部新設をかなえてやりたいという思いが、国家戦略特区を利用した権力乱用につながった。
国家戦略とはほど遠い前首相の発想と、それを忖度する側近や官僚の虚偽答弁によって、公文書が改ざんされ、真面目な公務員を自殺に追い込み、この国の民主主義は深刻なダメージを被った。
道理とかけ離れた政治は、安倍政権から菅政権に移り、“総合的・俯瞰的”に物ごとを見るのではなく、高級料理店で食卓を共にし、たまさか首相の共鳴板を震わした著名人や団体代表の意見を偏重する傾向はより強くなった。
そこにはもちろん政策の一貫性などあるはずがない。端的に言うなら、思いつき、場当たり、対症療法的なところに向かわざるを得ず、小出しとか逐次投入とか評される新型コロナ対策につながっていく。
菅首相は暗夜をさまよっている。学者を黙らし、一部の業界にすり寄り、強権人事を政治手段としてきた男が、いまや側近の無能に手を焼いている。こういう状況で、誰が助けてくれるというのか。自らの不明を恥じ、孤独をかみしめ、身を捨てて難局に立ち向かうしかない。
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