1都3県に続き、東海、関西、そして福岡県にまで拡大された緊急事態宣言発令地域。とはいえやはり菅政権のコロナ対策には、スピード不足を感じざるを得ません。一体どこに原因があるのでしょうか。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、その背後に菅首相の「とんだ考え違い」があることを指摘。さらにコロナ対策に関して首相の腹が座らない理由のひとつとして、政権内で竹中平蔵氏が幅を利かせている現状を挙げています。
甘い見通しとユルい緊急事態宣言。無症状感染は音もなく広がる
東京都ならびに三県の知事にせかされて、ようやく菅首相が発した新型コロナの緊急事態宣言は、続いて名乗りを上げた大阪、京都、兵庫、愛知、岐阜、栃木の各府県に広がり、さらには、気乗り薄の福岡県まで政府主導で巻き込んで、結局のところ全国的規模になってきた。
自治体としては、“コロナ疲れ”とか“コロナ慣れ”とかいう気のゆるみを締め直すため、仰々しいご託宣を国から授かりたいところ。これに対し、菅首相は国の責任を背負い込む緊急事態の発出を渋りに渋っていた。
首都圏の宣言を発表する会見で、記者に「名古屋、大阪の知事も宣言の必要性に言及していますが」と問われた菅首相はこう答えた。
「これにつきましては、この緊急事態宣言と準ずる対応をすることができるようになっていますので、状況を見ながら、そこはしっかりと対応していきたいというふうに思います」
緊急事態宣言に準じる対応ができる、とはどういうことなのか。おそらく、特措法の24条9項に基づくとして、各自治体がやっている飲食店への時間短縮要請を指すのだろう。24条9項は以下の通りだ。
都道府県は…必要があると認めるときは、公私の団体又は個人に対し、その区域に係る新型インフルエンザ等対策の実施に関し必要な協力の要請をすることができる。
公私の団体または個人に協力を要請できる。だから、飲食店に時短要請ができると拡大解釈しているわけだ。法の制定時、そんな想定で「公私の団体または個人」という言葉を使ったとは、とうてい思えない。しかし、国や自治体は、その拡大解釈を自明のものとして、そ知らぬふりで突っ走っている。
特措法のこの解釈でいけば、国が緊急事態宣言などしなくとも、自治体レベルでできるではないか、というのが菅首相の考えだったに違いない。
コロナ対策と相矛盾する「Go To」キャンペーンのせいで、とうとう緊急事態宣言にまで至ったではないか、という批判をできるだけ和らげるため、宣言を全国規模に広げることだけは避けたかったのではないだろうか。
しかし、感染急拡大の勢いは衰えない。大阪、京都、兵庫の知事が緊急事態宣言を求める動きを見せると、菅首相は、NHKの日曜討論(1月10日)で、腑抜けのごとく、次のように語った。
「昨日、分科会の先生方は、もうしばらく様子を見て、分析したいという方向だった。いずれにしろ、必要であれば、すぐ対応できるような準備はしているので、もう数日の状況を見る必要があるということでした」
「ということでした?」。あんた、総理大臣だろうが。正直、そう思った。これでは分科会の先生方のメッセンジャーである。
緊急事態宣言については、特措法改正時の付帯決議に「国民生活に重大な影響を与える可能性のあることに鑑み…多方面からの専門的な知見に基づき慎重に判断すること」とある。それに沿った発言といえなくもないが、どうみても、悠長にしていられる状況ではない。
三知事は、各府県で専門家と協議し、必要と判断したから要請しているのである。それを「必要であれば」と押し戻したうえで、「もう数日様子を見るということでした」と他人事のように言う。
関西の感染急増が一時的なものかどうか、しばし様子を見たいという専門家も、なかにはいたかもしれないが、これでは総理大臣として、いささか無自覚にすぎるのではないか。