金融=ファイナンスとは何か。それは、融資先・出資先・投資先の有り方を判断するということです。つまり、VOICE、声を上げることです。「ウェルビーイングの向上」というVOICEを上げている存在に融資・出資・投資をするということは、「そうだね。それは大事だ」というVOICEを返していることになります。
ただ、この世の中で多額なファイナンスのほとんどが機関投資家や年金基金という仲介者の意思決定によって生じています。彼らは仲介的な存在でありますので、その意志決定には受託者の責任が生じます。
よって、新たなVOICEが特に上がらなければ、自らの役割として、かつての時代の「ウェルスの向上」がデフォルトのままになってしまいます。
ただ、そういう意味では、株主や将来の年金受給者がウェルスだけでなく、「ウェルビーイングの向上も」というVOICEを上げれば、機関投資家や年金基金は、それに応える責任が生じます。
そして託された身として適切なリスクを背負う責任も生じます。「ウェルビーイングの向上」の機会があるからと言って、リスク(不確実性)に目をつぶることは受託者の責任を果たしていると言えません。
そして、「ウェルビーイング」=「幸せ」=「豊かさ」の向上を達成するために重要なのは、「成長」の再定義かもしれません。GDP、ROE、IRRの否定ではありませんが、数値化できる、モノの成長だけに留まらない新しい定義です。
一方逆に、最近世間の関心が高まっている「脱成長」は、色々な可能性(機会)に目をつぶっていると言えるかもしれません。「今日よりも、よい明日」を実現させるためには重要なことがあります。それは、我々一人ひとりが、「ウェルビーイングの向上」というVOICEを上げること。
「一滴一滴の滴が集まれば、大河になる。」ウェルビーイングへのVOICEを皆で上げましょう。
□ ■ 付録:「渋沢栄一の『論語と算盤』を今、考える」■ □
『論語と算盤』経営塾オンライン
『論語講義』里仁第四 4
子曰く、苟くも仁に志せば、悪しきこと無きなり
蓋し、人は自分の利益幸福ためにのみ働かず。
他人の利益幸福のために動かねば決して栄えるものではない。
MeからWeへ。「ウェルビーイング」のためには、自分のために動くのではなく、他人のためにも。
『論語講義』里仁第四 13
子曰く、能く礼譲を以て国を為めんか、何か有らん。
能く礼譲を以て国を為めずんば、礼を如何せん。
主張すべき正当の権利はこれ主張するもよけれども、
権利主張の一点張りとなりて
いささか譲り合いもせぬとなれば、
その主著は正義の域を脱して放縦となり、
その極、国なっては弱国を虐待併呑し、
人にあっては貧人を駆使兼併するに至り。
正しい、正当だということも度を過ぎると、思うままに振舞い、わがままになってしまい、みんなの「ウェルビーイング」な生活や世の中につながらないということですね。礼譲とはMeからWeへの視点を持つということでしょう。
謹白
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