今、デパ地下で売っているお弁当の中では、「おこわ」を専門に売っている店を見かけます。おこわは、「御強」と書くのですが、これはもち米を蒸したご飯です。もち米は、うるち米に比べると甘みが強いです。現在売られているのは、その上に醤油や味醂で味付けをされ、色々な具を混ぜて売っています。もともと、赤飯に代表される祝い飯の一つでした。
昔は、強飯と書いて「こわめし」と呼ばれていました。平安時代の貴族は、強飯を食べていたと言われています。特に行事の宴の席で出されるのは、強飯でした。神様に捧げるご飯は、茶碗に山盛りよそって箸を立てます。それこそが、贅沢だったのでしょうが、箸が立つのは強飯だからです。
これに対して、普通のご飯は、もち米のこともうるち米のこともあったようですが、もっと水気の多いものであったようです。つまり、今で言うところの固粥(かたがゆ)が食べられていたようです。これを強飯に対して、姫飯(ひめいい)と言っていたようです。ニュアンスとしてもなんとなく理解できるような気がします。平安時代も末期になると、強飯よりも姫飯が好まれ、貴族の人々も姫飯を食べていたようです。
また、今で言うところの粥(かゆ)もありました。これは「しるがゆ」と呼ばれていたようです。
枕草子の中で「所の御前どもに水飯(すいはん)食はす」と言う記述があります。「蔵人所の先駆けの者たちに水飯(すいはん)を振る舞う」と言っているのですが、この「水飯」は姫飯(ひめいい)のことなのか、粥のことなのか判断が難しいところです。
では、平安時代以前はどうだったのでしょうか。これらの時代になると文献に残っていませんので出土物から考えるしか方法はありません。