日本の「リベラル」たちは、憲法九条が日本の平和を維持してきたという、日本でしか通用しない「信仰」を中核とし、本来のリベラルとは異なる特殊日本的な「退化」を続けた。著者は日本の「リベラル」を、「ガラパゴス左翼」と呼ぶことにした。深刻な問題は、彼らの構想力、理念の欠如だ。彼ら自身が理念として目指す社会とは、いったいいかなる社会なのか。何も表明されない。
枝野幸男は小池百合子の希望の党に排除される段階になって「立憲民主党」を立ちあげただけで、改憲派の小池とは手を組めぬと筋を通したわけではない。改憲派との奇妙な野合を目指す政治家の一人で、元は集団的自衛権の行使容認派だ。結局はマスメディア、「リベラル」受けを狙う虚しい政治屋に過ぎない。
著者は、真のリベラリストは真の保守主義者と重なり合う部分が大きいと信じている。そのためには、以下の二つの条件が欠かせない。
- 日本国憲法、そして安全保障政策において、事実を認めた上で、現実的な政策を提案すること
- 共産主義思想の恐るべき破壊力に向き合うこと
特殊日本的な「リベラル」から脱し真っ当なリベラリズムが日本に定着することを強く望む。
編集長 柴田忠男
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