「手作りマスク」が示したコロナ後の個人ビジネス時代の可能性

 

現在、世界は中国生産に依存しています。もちろん、日本も依存しています。日本は先頭を切って、中国に進出しました。多分、当時の日本人は中国に夢とロマンを感じていたと思います。日本が持っている技術を中国に移植すれば、中国は発展していくに違いない。同時に、日本が国内でできなかった大きなビジネスが可能になるかもしれない。もっと世界に大きな存在感を示すことができるのではないか。小さな島国に住んでいた日本人にとって、大陸進出には大きな魅力がありました。

第二次世界大戦で敗戦してから、日本はアメリカに頭を押さえつけられていました。飛行機を作ることも禁じられ、空母を持つことも禁じられました。日本の繊維産業が対米輸出で成長すると、輸出の自主規制を迫られ、輸出ができなくなりました。

日本の国力が上がり、アメリカが貿易赤字と財政赤字を抱えると、無理やり円高ドル安へと為替誘導が行われました。次第に、日本の富を収奪する仕組みが出来上がっていったのです。それでも、多くの日本人は更に努力して成長しようと考えました。

そんな中で中国が改革開放政策を発表し、日本政府、日本企業は「日中友好」の名の元に、積極的に中国進出を始めたのです。当時はアメリカも中国の成長を後押ししていました。世界が中国に夢を感じていたのでしょう。

それほど、当時の中国には何もなかった。中国には工場を建設する敷地はいくらでもあったし、工場で働く労働者も簡単に集まりました。しがらみのない国で、一からスタートできる。そこに可能性を感じたのです。そして、合弁企業を作り、理想と考える工場を中国に建設しました。

日本企業は機械を持ち込み、技術者を送り込み、工場を育てました。それでも、日本市場に対応できるまで、10年近く掛かりました。90年代になって、中国からの輸入が爆発的に伸びました。その結果、日本の市場価格が下落しました。日本の流通企業は安く作って安く売ることに熱中しました。国内にデフレスパイラルが起こり、市場は収縮し、利益も減少しました。国内製造業は淘汰され、日本人は貧しくなりました。

そして、予想外のことが起きました。あっと言う間に中国の生産力が世界の需要に追いついてしまったのです。多分、私を含めて多くの人々は「世界はもっと大きい」と思っていたでしょう。しかし、「世界の工場」になった中国は、世界市場に対して過剰生産になってしまいました。何もなければそのまま進んでいたでしょう。日本にとって過剰生産は当たり前のことでしたから。

しかし、新型コロナウイルス禍で世界が止まりました。そこで振り返りました。日本は中国の成長に協力することで、何か良いことが起きると思っていました。多少は自分たちにも利益が回ってくるのではないか。しかし、結果的に中国だけが豊かになり、日本は貧しくなりました。

情けないことに、マスクまで中国生産に依存して、本当に必要な時に入手できなくなった。日本の注文で生産したマスクまで中国政府が輸出禁止になって、中国政府の戦略物資になってしまった。これが、安く作って安く売りたいと思って、日本人が努力した結果です。愚かな話です。

今後も、新たなウイルス感染が起きるかもしれません。それも中国から発生する可能性が大きいと思います。私たちは中国依存の体制を修正しなければなりません。安く作って安く売る。そのために海外で大量生産するというビジネスの考え方そのものを見直す必要があります。

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