編集後記
こうした事案では、迅速に利害関係のない第三者委員会を設置し、速やかに調査をする必要があります。この場合は、いじめについてと学校対応についてが調査の対象になるでしょう。
特に大都市圏を有する地域では、教育委員会直下に調査委員会が設置されています。
ただ、この委員会はその処理数が異常に多く、1件当たり数分しか会議では時間を割けないということがザラにあります。
制度を作ったのはいいが、いざ機能するかと言えば機能しきらないということがあります。さらに第三者委員会には大きな問題があるケースが多いのです。
平成30年度総務省はいじめ自死事件を調べ、いじめの定義を学校などが勝手に解釈したことによって対応が遅れたことが大きな原因であるとして、文科省と法務省に勧告を行っています。
つまり、いじめの定義を勝手に解釈するなということです。いじめの定義とは、本文中にも書いた通り、
- 一定の関係性があり
- 何らかの行為があって
- 被害者が心身の苦痛を感じている
という3つの条件がそろえば、「いじめ」となります。
調査委員会などの役割は、その行為と被害者の心身の苦痛の因果関係が中心となるわけです。つまり、その背景や加害側の「そういうつもりではなかった」というのはいじめの有無とは関りがないのです。
それには被害の大なり小なりは出てきますが、立法の趣旨とその背景においては、いじめを広義に捉えることで最悪の事態を防ぐということや、加害行為となった児童生徒への指導という面を含めていますから、大きかろうが小さかろうがいじめはいじめでとらえる必要があるわけです。
ところが、特に第三者委員会や調査委員会の委員長は、裁判官のごとく、いじめかどうかを判断するのは自分であると万能感を示すことが多いのです。これでは、いじめの定義はないがしろにされ、属人化したあいまいな基準によっていじめの有無が斟酌されてしまうのです。
全国的にみて、いじめの調査委員会や第三者委員会の結果が再調査によって覆されています。つまり、前任委員会は誤った判断をしたことになると同時に、そのために被害者を貶め、さらに反論するために弁護士さんなどを雇うわけですから、経済的負担を負わせた加害委員会となり得るのです。
私は再調査への道のりを作ることが多いので、こうした現実は多く見てきています。
ハッキリ言って、異常です。
こうした異常世界が収束し、正常に戻ることを願います。
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