例えば論理的に生きるとはどういうことか。
まずは人生を定義します。
仮に、人生とは「誰にも邪魔されず旅をすることである」と定義したとしましょう。
旅に必要なものは何か。「地図」と「移動手段」とします。
地図とはどこに何があって、それはどれくらい時間や距離がかかるかを知る物です。その地図を手にするためには、教養が必要です。だから私は勉強する。
移動手段とは、行きたいところにたどり着くためのツールです。そのツールとは、そこにたどり着くための専門的な技術です。だから私は勉強する。
だから生きることは勉強すること。
だから私は勉強するのです。
この内容は、以下のように表現できます。
定義:人生とは、「誰にも邪魔されず旅をすることである」
↓(まず)
旅に必要なものは2つある
・地図
・移動手段↓(第一に)
地図とは教養である
↓(ゆえに)
勉強が必要だ
↓(第二に)
移動手段とは技術である
↓(ゆえに)
勉強が必要だ
↓(以上より)
旅をするために必要なものは勉強である
↓(ゆえに)
人生に必要なものは勉強である
↓(ゆえに)
私は勉強する
これが私がかつて、そしていま、そしてこれからも勉強し続ける理由です。
私は、矢印(→)で自分の人生を理解しています。そしてその内容に納得しています。納得した人生を送っているので、私はいまとても幸福です。
この話はあなたの仕事やプライベート、人生にも当てはまることではないでしょうか。人は納得した結論を得るとき、必ず矢印(→)を使っています。それはまるで数学の証明問題のように。
これが、論理的であるということの正体です。(メルマガ『深沢真太郎の「稼ぐ力がつく! 数学的思考の授業」』より一部抜粋)
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- 「自分の人生」を矢印(→)で表現できますか? 〜深沢真太郎の「稼ぐ力がつく!数学的思考の授業」〜(10/27)
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