サリンを吸引し、視界が真っ暗に
――思いだしたくもないでしょうが、被害に遭われた日の様子を教えていただけますか。
さかはら「当時、僕は電通に勤めるサラリーマンでした。所属していた電通のマーケティング部は9時30分出社。けれども、その日はシャワーを浴びるために早めに出勤していたんです」
――なぜ会社でシャワーを浴びるのですか?
さかはら「海外留学をする計画のために貯金をしていて、家賃3万円の風呂なしアパートに住んでいたので」
――サリン事件当日は地下鉄のどの車両にお乗りになったのですか。
さかはら「サリンが置かれた一両目です。僕が座ったシートの対面の床に、サリンが入った袋が落ちていたんです。僕が見たときにはビニール袋からサリンが流れ出ていて、包んであった新聞紙にも沁みこんでいました。ただ、それがなんなのかまでは、わかりませんでした」

さかはらさんの目の前に置かれていたサリン。袋に穴があけられ床に流れ出ていた © 2020 Good People Inc.
――漏れ出たサリンの眼の前にいらっしゃったということは、直接吸引をされたのですね。
さかはら「はい。皮膚からも被曝はするのですが、においを確かめるために2回、鼻から空気を吸い込みました。そのとき僕は新聞を読んでいたんです。新聞には偶然、前夜に『オウム真理教の信者が大阪で逮捕された』ニュースが載っていました。それで、ふと*松本サリン事件が頭をよぎったんです。『もしや、この袋はサリンなのでは?』と危機を感じ、とっさに2両目へ逃げ込みました。なので命は助かったんです」
*松本サリン事件 1994年(平成6年)6月27日に長野県松本市で発生したオウム真理教によるテロ行為。教徒らによりサリンが散布され、被害者は死者8人に及んだ。無実の人間が公然に近い形で犯人として扱われた報道被害事件でもある。翌年、阪神・淡路大震災によって事件の注目度が低下したため、オウム真理教はさらに衆目を集めるべく地下鉄サリン事件へと展開してゆく。
――サリンは、どんなにおいですか。
さかはら「シンナーに近い。加えて、フルーティなにおい。なのではじめは『この袋は、ペンキ屋さんの忘れ物なのかな』と勘違いしていました」
――2両目に駆け込んでからは、どうなりましたか。
さかはら「電通の最寄駅で電車を降り、改札を出て地上へあがりました。ただ眼の縮瞳がはじまっていて、視界が暗くなりはじめていた。歩くのが不安で、タクシーをつかまえて会社へと向かいました」
――自分がテロ事件に巻き込まれている自覚はありましたか。
さかはら「なかったですね。下車後すぐに駅構内から外へ出たので、なにが起きているのかを知らなかったんです。ただ、眼がどんどん見えなくなっていって。『コンタクトがあっていないのか』『働きすぎかな』、そんなふうに考えていました」

車両を降りたのち、視界が暗くなってゆくのを感じたという。しかしサリンを吸引したせいだと知ったのは、ずいぶん経ってからだった
――電通へ到着してからは、どうされましたか。
さかはら「まず社員用のジムへ向かいました。いつものようにまずストレッチをしたのを憶えています。すると次第に気分が悪くなり、脂汗をかきはじめました。そうしてシャワーを浴びているうちに視界が真っ暗になった。一瞬『停電かな?』と」
――もう仕事ができる状態ではないですよね。
さかはら「そうなんです。上司に『体調が悪化した』とメモを残し、病院へ向かいました。その頃にはもう眼が本格的におかしくなっていました。太陽を直視しても、まぶしくないんです。そして築地方向へ走る救急車やパトカーのサイレンが遠くから聴こえてくる。『これはいま、東京で大変なことが起きている』と感じました。やっと聖路加病院へ辿り着くと、院内はまるで野戦病院のような惨状になっていて……。そのままストレッチャーに乗せられ、診察室へと運ばれました。それでも、なにが起きているのかまでは、わからなかった。『自分は事件に巻き込まれたのだ』と知ったのはずっと後です」
――医師からは、なんと診断されましたか。
さかはら「私を診ているお医者さんに、別の若いお医者さんが『二次感染の可能性ありますか?』と尋ねたんです。すると『まったくわからない』と返事をしていました。それを聴いて、死を覚悟しました」
――のちに死生観など心境の変化はありましたか。
さかはら「ありました。人はいつ死ぬか、わからない。人生はなにが起きるのかわからない。正直に生きよう。自分を曲げないで生きよう。いつも本当のことだけを言おう。そう誓いました」

「人はいつ死ぬかわからない」、身を以ってそう感じた