信者と過ごして見えてきた「洗脳」の恐怖
――映画を観ていて感じたのは、荒木氏の麻原観の奇妙さです。麻原を尊敬しているというより、麻原についてこれ以上考えるのを止めている、そんな気がしました。オウム真理教の幹部たちがサリン事件などの凶悪犯罪を実行したのは認めている。にもかかわらず、偉大なるグルはそうではない。そんなふうに考え、そこで思考が停止しているように思えました。
さかはら「思考停止、そう、止まるんです、思考が。荒木さんはある瞬間から突然ガンコになるんです。僕はバケツの水が凍っているように感じました。バケツの氷って、時間とともに表面1センチくらいはゆるっと揺れるでしょう。指で押すと揺れ動くじゃないですか。荒木さんにも心情が揺れる人間らしい部分があるんです。ところが話が麻原に及ぶと、そこから先はガッチリ凍っている。25センチくらいのブ厚い氷が、いっこうに溶けない。そういった印象でしたね」

さかはらさんとの旅の途中、荒木氏は車窓を眺めながら入信前の家族や親族との触れあいを思い返し、万感の想いがこみあげる。荒木氏の気持ちが揺れる貴重なシーン © 2020 Good People Inc.
――それが「洗脳」なのでしょうね。
さかはら「麻原を疑うと、自分の心が壊れる。それを恐れているのでしょう。麻原の罪について考えると来世、その次も地獄に落ちる。オウム真理教時代に恐怖を植えつけられている。その恐怖は、彼がいまだに麻原を崇拝している理由でもあると思うんです」
被害者が「謝罪を求める映画」ではない
――この映画は荒木氏のドキュメンタリーでありながら、さかはら監督自身のドキュメンタリーでもあると感じました。終始、平静を装う荒木氏に対し、友人のようにあたたかく接する。そうかと思えば、ことの重大さをわかっていなさそうな彼に激怒するシーンもある。事件当日から撮影日までの、さかはらさんが苦悩した日々が映像に刻まれていました。
さかはら「よく『謝罪を求める映画だ』と捉えられるんです。けれどもそれは違う。荒木さんに謝ってほしいとは思ってない。謝罪をしてもらっても僕は助からないし。とはいえ撮影中も怒りが湧いてきてね。怒りを理性で抑える、それの繰り返しでした」
――敵対と呼んで大げさではない関係でありながら、心が通いあうシーンもありましたね。特に電車移動中にふたりでイヤホンを分けあって同じ音楽を聴くシーンは、とても微笑ましかったです。あれはどんな曲を聴いていたんですか。
さかはら「ジェリー藤尾の『遠くへ行きたい』です。映画の企画を考えていたとき、なんとなく聴いていた曲なんですが、次第にこの映画のテーマ曲のような気がしてきて。荒木さんが出家したのも『遠くへ行きたい』気持ちからだったですし」

ジェリー藤尾の『遠くへ行きたい』をひとつのイヤホンでふたりで聴く、まるで友情すら感じさせるシーン © 2020 Good People Inc.
――お互い友情を感じてさえいるように見えましたが、撮影終了後や映画の完成後に荒木氏とお会いになりましたか。
さかはら「何度も会いました。僕はあきらめきれなかった。いい加減、麻原を信奉するのをやめてほしかった。麻原の教義を引き継ぐ教団を解散してほしかった。しかし日本には信教の自由がある。やめろとまでは言えない。ならば『せめて若者への勧誘活動は止めないか』と。あの頃、彼らは信徒獲得のためのマーケティングが進んでいました。心が弱っている人に寄り添うノウハウが次第に巧妙になっていたんです。女子会を装ったり、心象風景を描く会なのだと迫ったり。それで『信者集めはもうやめよう。社会のために働こうよ』と伝えた。しかし、荒木さんの心は変わりません。そうして彼は僕を、だんだん避けるようになっていきました」

2015年3月20日、さかはらさんとともに献花に訪れた荒木氏は記者に囲まれた。苦しい胸の内は語ったが、被害者に対する正式に謝罪の声明はなかった。© 2020 Good People Inc.

自分の心の変化に動揺したのか、撮影後の荒木氏は、さかはらさんに対し頑なな姿勢を見せはじめたという
――最後に荒木氏に連絡を取ったのは、いつですか。
さかはら「2週間前に電話をしました。つながりました。荒木さんは電話には出てくれた。声は聞こえた。けれども、こちらの声が荒木さんへ届いていないのか、会話にはならず。それで終わりでした」
この日の取材は、さかはらさんが荒木氏を自分の両親に会わせる衝撃のシーンが撮影された、京都府長岡京市にある八条ヶ池の回廊にて行われました。
事件により人生を狂わされ、未だに精神的にも肉体的な苦しみを抱える被害者たち。その「被害者」が「加害者」にカメラを向ける、過去にないシチュエーションです。ここでは客観性や中立性をよしとする本来の「ドキュメンタリーの常識」は捨て去られています。冷静ではいられない男と、不条理なまでに冷静な男。当事者どうし逃げ場がない環境で見つめあう。果たして「わかりあえる」なんてありえるのか。
事件が風化しつつあり、おかしなカルトの教祖たちがネットメディアに跋扈しはじめた昨今。だからこそ、観ておきたい映画だと感じました。

© 2020 Good People Inc./Photo by 2020 Nori Matsui
「AGANAI 地下鉄サリン事件と私」
監督:さかはらあつし
出演:荒木浩、阪原武司、阪原多嘉子、さかはらあつし
2020年/114分/
1995年3月20日、あの朝、私はそこにいた。未曾有のテロ、地下鉄サリン事件。オウム真理教は東京・霞ヶ関駅を通過する3つの地下鉄路線を走る5つの車両に、猛毒の化学兵器「サリン」を一斉散布した。被害者の映画監督が、今なお活動を続けるオウム真理教(現Aleph)の広報部長と20年の時を経て対話の旅に出る。海外の映画祭で話題になった衝撃のドキュメンタリー。