ですから、今回の件でいろいろな人たちがいろいろなことをコラムやTwitterで発信していましたが、いちばん胸を突かれたのが、株式会社ニューキャンバス代表取締役/トランスジェンダーの杉山文野さんが書いたこちらのコラムです。
「『知らない』は社会の責任だ -保毛尾田保毛男 の一件に関して-」と題されたコラムには、次のように書かれています。
(以下、コラムより一部抜粋して要約)
番組をみて、笑う人の気持は僕にもわかる気がする。
僕らがどんな気持であったか、理解しようと努力をしてもらうことを願うことは許されるだろうか。
昔、家のコタツで両親と一緒にテレビを見ていて「保毛尾田保毛男」が登場して
「いやぁねぇ、こうゆう人」
と言うひと言を聞いた時、僕はその場に普通の顔をして居続けることができなかった。
胸が潰れるほど苦しくなった。
次の日、学校でみんながそのホモキャラをマネし「キモい!キモい!」とふざけ合っているのを見て、いじめられたらどうしよう、居場所がなくなっちゃったらどうしようと想像して、学校に行くのが怖くなった。でも、休んだら休んだで、その原因を追求されてバレるのも怖い。学校へ行き、むしろ一緒になってマネをしてみんなの笑いをとっていた。
僕は「人権を意識してエンタメを作るべきだ」と主張するつもりはない。
しかし、「悪気のない」笑いの裏でどれだけ多くの人が傷つき、時には自殺にまで追い込まれているという現実を知ってほしい。
笑いを生み出す想像力を、ほんのすこし、僕らのところまで広げてもらえたら、どれだけ多くの人が救われるだろう。
幸い僕は生き残れた。
「知らない」ということ、無知であること、「知ろう」としないこと、無知を認めないこと。
それがいかに刃となるか。
今でこそ私は、LGBTなどの問題だけでなく、マイノリティの人たちの“声にならない声”を必死に拾い上げ、コラムを書いたりテレビやラジオなどのメディアでコメントしていますが、“30年前の私”はそういったことを一瞬たりとも考えたこと、想像を巡らせることもありませんでした。
「幸い僕は生き残れた」ーーー。重たい言葉です。