いじめられっ子のび太が主人公の『ドラえもん』が始まったのは1969年、つまり半世紀前からいじめは存在していたわけですが、現代のように陰湿ではなかったとよく言われます。今回の無料メルマガ『いじめから子供を守ろう!ネットワーク』では、暴走を抑え切れない最近のいじめに警鐘を鳴らし、どうすれば歯止めを効かせられるのかについて論じています。
伝えたい「天知る 地知る 我知る」
日本の夏と言えば、お盆の季節でもありますが、50年近くも前、私の田舎では8月のお盆の頃に「施餓鬼(せがき)」というものがありました。施餓鬼とは、地獄の餓鬼道におちて苦しむ衆生に食事を施して供養する仏教の行事(法会)のことです。
当時、そんなことを知るはずもなく、強制的に子どもたちはお寺に集められ、お墓の掃除をさせられ、意味不明のお経を正座で長時間も聞かされるという苦痛以外のなにものでもない行事でした。
特に「怖かった」と印象に残っているのが、地獄絵を見せられての話でした。体から吹き出る血、奇妙に膨れたお腹、真っ赤な炎の中を鬼に追いかけ回される半裸の亡者や餓鬼の姿。
小学生にとって「死」というものはめちゃくちゃ怖いものでした。その「死」に直結したお寺で「地獄絵図」を見せられ脅されるという、子供からみると、とんでもない行事があったのです。
小学校も中学校も廃校になった現在の田舎では、そんな行事も、もう思い出でしかありませんが、当時は、悪いことをしたら「鬼が来る」、「地獄に落ちる」というのは、「当たり前」のこととして教えられていました。
現代の子どもたちは「あの世なんかない」と思っている子が多いようですが、私の田舎では「あの世」と「この世」はある意味一体化していました。うちの父もこのような体験をしています。
ある夜、親戚の家を訪ねた帰り道のこと、いつもの道を歩いていたはずなのに、ふと気がつくと、何キロも離れたところにいることに気付きました。父は大慌てで夜道を駆けて家にたどり着くと「狐にだまされた~」と大声で家族に訴えていたものです。本人は驚いても村では大きな話題にはなりませんでした。「人魂が飛んでいた」とか「死んだ婆さんが訪ねてきた」、「戦死した叔父が家に入ってきた」とかの話は日常茶飯事なので、村では「へーっ、そうだったか」くらいですまされてしまう程度の話なのです。
そんな伝説や昔話の世界に住んでいたのですが、かといって小学校時代が、「みんな仲良し」というわけでもなく、現代とはかなり違いますが時にはいじめもありましたし、ケンカもありました。それでも、心の何処かには「悪いことをしたら地獄に堕ちる」という感性を持っていたように思います。