カンボジア横断のもっともポピュラーなコースは、タイのアランヤプラテートから東進、内陸で国境をまたいでポイペトからシソポン、その後はシェムリアップ、コンポンチャムを経由する国道6号線か、シソポンからコンポンチナン経由の国道5号線で首都プノンペンに至り、そこからベトナム国境まで国道1号線を通るルートだ。そしてその年、実際に国道6号線を歩いて横断した日本人旅行者の話が、バンコクのとある日本人宿の旅ノートに掲載されていた。
しかし僕はこれまでもできるだけ海に近い国道を歩いてきたので、カンボジアでも自分なりのこだわりを貫きたい。そんな理由から、ポピュラーな内陸ルートではなく、安全面でちょっと不安はあるけど徒歩が不可能ではないとおもわれる海に近い国道48号線を選んだ。
まず97年当時にタイ領内で歩き残していたトラートからカンボジア国境までの約百キロを歩き終え、念願のカンボジアに徒歩で入国したのは2005年1月14日。ココンという人口3万人の川沿いの町を発つと、国道48号線は海にもっとも近い国道とはいいながらほとんど山の中を通る未舗装の道路だった。どこの国でも国道ぐらいはアスファルト舗装されていたものだが、やはりカンボジアはただものではない。それも赤土を盛って平坦に均して道路を造成したのはカンボジア政府やアンタックではなく、隣国タイ国軍の工兵隊だ。ギクシャクしていた二国間関係を好転させようと、当時のタイ政府が手を差し伸べたものだった。
なだらかな起伏の丘陵地帯を走る国道48号線は車の往来がまばらで、道沿いにはみすぼらしい木造の高床式住居が点在するものの、行けども行けども町がない。ところどころ山火事に見舞われた痛々しい山肌が広がる。それでもときどき山の中を水量豊かな大河が流れ、国道の切れる川岸にはかならず小型フェリーが待機していた。車の往来が少ないといっても30分も待てば小型フェリーは長距離専用タクシーやトラックで満車状態になり、対岸へと渡ることができた。
しかし、町がないので宿もない。そのため歩き終えた地点から宿のあるココンまでなにか乗り物に乗って戻ってこなければならないのだが、これがひと苦労だった。未舗装ながら国道なんだし、バスや乗り合いタクシーぐらい走っているだろうとタカをくくっていたら、そんな交通機関はかなり早い時間帯で終了してしまうしヒッチハイクもままならないし、とにかく帰りの車にありつけない。初日はまだ明るいうちにバイクタクシーをゲットできてラッキーだったが、2日めはどうしても車がつかまらず、とっぷりと日が暮れたあとに偶然やってきたパトロール中のカンボジア軍のピックアップトラックの荷台に乗せてもらってココンに帰ってきた。荷台には僕と数十個の土のうのほかは、ふたりの兵士が片膝立ちで自動小銃を構えた格好で乗り、じっと闇夜の山中のジャングルを睨みつけていた。なにか潜んでいるのだろうか。
それより僕には懸念することがあった。前述したとおり、僕が歩いた2005年のせいぜい5、6年前に、カンボジア国軍兵士が旅行者を銃で脅して金品を強奪する事件が多発していたので、本当いうとこのときもそうならないかという一抹の不安があったのだ。金を盗られるだけならまだしも、真っ暗な山中でズドンと一発やられ、身ぐるみ剥がれてジャングル奥深くに遺体を捨てられてしまえばまずバレっこない。荷台には僕の両サイドに自動小銃を構えた兵士がふたりいるわけだから、その気になればお茶の子さいさいだろう。
そして車に乗ってから2時間以上が経過、ようやく遠方にココンの明かりが弱々しく見えたころ、僕の心臓が早鐘を打ちだした。なんとピックアップトラックがココンへ通じる国道をはずれて枝道深く入り込んだのだ。
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