ところが、署長いわく、
「カンボジアはまだまだ貧しい国で、治安もよくなったといっても日本や欧米とは比べものにならない。銃と地雷がいっぱいあるんだ。だからユタカがカンボジアを歩くのは、ほかの国より危ないんだよ。でも、ユタカの話を聞いていてオレはおもった。オレたちの国を歩いてほしいと。だから多くの部下が反対したけど、オレはユタカを歩かせようとおもう。
その代わりひとつ条件がある。ユタカ、ケータイ持ってるよな。よし。これから毎日かならず、歩き終えたところからオレのケータイに連絡してこい。今日はどこからどこまで何キロ歩いたと知らせてこい。もし一日でもユタカから連絡がなければ、オレはカンボジアじゅうの警察を動かしてユタカを探しだすぞ。」
署長の言葉を聞くうちに目頭が熱くなり、ついに我慢できずに男泣きしてしまった。バカな外国人旅行者を、それもなにかの嫌疑で疑った人間を、ここまで応援してくれるとは。とにかく無事にカンボジアを歩いて出国しなければならない。途中で地雷なんか踏んで木っ端微塵になっているヒマはない。拳銃強盗にズドンとやられて頭から鮮血をほとばしらせている余裕もない。とにかく安全第一に一歩一歩、歩かなければならない。ちゃんと無事にカンボジアを出国して初めて、僕は署長の好意に報いられるのだ。
その後、道端での立ちションや野グソは、家畜のひづめの跡がついたところでやるようになった。少なくとも、ひずめの跡があるところに地雷は埋まっていない。
夜中に拳銃強盗が頻発していた首都プノンペンでは夜間の外出を控えるなど、署長の言葉をかみしめ、それまで不注意におこなってきたことを改めた。
おかげさまで僕はその後に大きなトラブルに遭遇することもなく、したがってカンボジアじゅうの警察が僕の所在を確認するために動くこともなく、無事にカンボジア国内679キロを歩ききって隣国ベトナムとの国境にたどり着くことができた。もちろん最後の日も、国境検問所のすぐそばからアンドウン・テークの警察署長へ電話を入れた。
「ユタカです。今、(ベトナム国境の)バベットに着きました。あなたの国を無事に679キロ歩きました。みんな、優しくしてくれました。本当にありがとうございました」
「あー、ユタカ。無事に着いたか!おめでとう、おめでとう。よく歩いたね。オレも自分の国の治安に少し自信が持てたよ。ほら、覚えているか、『ユタカは絶対に途中で死ぬ!』って言ったオレの部下を。今、オレの横でびっくりしてるよ。よかったよかった。また遊びにこいよ!」
物質的な貧しさと心の豊かさがかならずしも反比例しない好例を、僕はカンボジアで知った。いつかまた、あの心豊かな署長に会えるだろうか。
ベトナムに入ると、ソニー・エリクソンからカンボジアのSIMカードを抜き取り、代わりにベトナムのSIMカードを挿入する。当然のことだが、直前まで毎日かけていた署長のケータイの番号にかけてみると、ベトナム語と英語で、番号をお確かめくださいというメッセージが流れた。国境をまたいだ瞬間、約40日間滞在した心優しき国カンボジアが目の前からフワーッとかき消えたような気がした。
『あるきすと平田のそれでも終わらない徒歩旅行~地球歩きっぱなし20年~』第7号より一部抜粋
著者/平田裕
富山県生まれ。横浜市立大学卒後、中国専門商社マン、週刊誌記者を経て、ユーラシア大陸を徒歩で旅しようと、1991年ポルトガルのロカ岬を出発、現在一時帰国中。メルマガでは道中でのあり得ないような体験談、近況を綴ったコラムで毎回読者の爆笑を誘っている。
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