徒歩でカンボジアを歩き切った男が最後に流した涙のワケ

 

「ヤバイヤバイヤバイヤバイ。ヤラレルヤラレルヤラレルヤラレル」

思わず呪文のように「ヤバイ」と「ヤラレル」が数珠つなぎに口から飛び出す。トラックの荷台から飛び降りて闇夜のジャングルに駆け込むべきか瞬時ためらい、結局やめた。荷台のふたり以外にも運転手と助手席の男も兵士だ。このトラックにはピストルや自動小銃を身につけた兵士が4人も乗っている。ジャングルに駆け込んだところで逃げ切れるはずがない

僕は半ばあきらめの境地で彼らの行動を見守った。トラックがだいぶ枝道を走ったころ、暗闇の中にヘッドライトに照らされて数棟の粗末な小屋が浮かぶ。そのひとつから男が出てきて助手席の男と言葉を交わすと、荷台の兵士ふたりは土のうを投げ下ろし始めた。

暗くてはっきりしないが、どうやらここは小ぢんまりとした集落か屯田村のようだ。

ふたりが荷台の土のうをすべて投げ下ろすと、トラックはエンジンをかけた。先ほどの国道48号線まで引き返し、今度ははるか彼方に見えるココンの町の明かりをめざして夜道を走り抜けた。国道に出てもしばらく動悸が収まらなかったが、なだらかな坂を下って町のはずれにたどり着いたころ、ようやく人心地をつくことができた。なおありがたいことにカンボジア国軍のピックアップトラックはわざわざ僕の泊まっている安宿のある路地まで進入し、僕を降ろしてくれた。

カンボジア軍のピックアップトラック。これで60キロも離れたココンまで送ってもらった。

カンボジア軍のピックアップトラック。これで60キロも離れたココンまで送ってもらった。

いやー、ほんと怖かったですよ。バックパッカーのあいだでは、ひと昔前のカンボジア軍兵士の風紀の乱れ具合があまりにも悪名を馳せていたせいで、生まれ変わったであろう新生カンボジア軍の兵士にまで僕は知らず知らずのうちに疑念の目を向けていたのだった。宿でシャワーを浴びながら直前の体験を思い返してみると、ほとんど僕は保護されたも同然だったことに思い当たった。どうもお世話になりました、カンボジア軍。

しかし学習能力のない僕はその2日後、今度はカンボジア警察に保護される。あーあ。

カンボジア軍のピックアップトラックで宿まで送り届けてもらった翌日は、ココンの町を徘徊して過ごした。この日の大事な要件は、カンボジアの携帯電話のSIMカードとプリペイドカードを購入することだった。そしてこれがさっそく活躍することになるのだが。

僕の選んだ国道48号線はその後もしばらく山中を走っており、場合によるとまたしても軍用車にお世話になるかもしれない。歩きをやめればいいんだろうが、意地もある。97年に歩けず、05年になってようやく実現したカンボジア徒歩旅行だ。とにかく山の中を抜ければ町もあるので、あと数日がんばってみようと心に決めた。しかし途中なにがおこるかわからない。いざというときは警察や首都プノンペンにある日本大使館などに素早く連絡しないと。

というわけで、ベトナムで買ったソニー・エリクソンにカンボジアで買ったSIMカードを挿入して実際に利用できることを確かめ、翌朝ワゴン車の乗り合いタクシーに乗り込んだ。山中に宿があるともおもえない。この日も歩き終えるとココンまでタクシーかなにかで戻ってくる予定にしていた。

赤土の路面には砂利がゴロゴロしていて歩きにくい。国道48号線で。

赤土の路面には砂利がゴロゴロしていて歩きにくい。国道48号線で。

2日前に歩き終えているトラペン・ルンという渡し場までワゴン車で移動し、そこから歩くこと20キロ、オアンダットというたった数軒の集落に到着。そろそろ帰りの車をつかまえないとまずいかなと時刻が気になったころ、前方から警官ふたりが乗ったバイクが走ってきて僕の前で停車した。ハンドルを握るのは小柄だが体格のガッチリした40歳前後の男で、腰に拳銃を差している。後部座席の男は自動小銃を肩からさげた20代後半のひょろ長い男だった。

カンボジアはクメール語である。自慢じゃないがこっちは「こんにちは」と「さよなら」しかわからない。

「ジョムリアップ・スア(こんにちは)」

「○?□△※」

当然わからん。こういうときはこちらからパスポートを提示することにしている。とりあえずパスポートを見てもらえば、僕が日本人で、ちゃんと必要なビザも取得していることは理解してもらえるので、無用なトラブルを避けるうえでも大切なことだ。

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