パスポートに目を通した小柄の男は、今度は流暢なタイ語と貧弱な英語で話しかけてきた。カンボジア西部には隣国タイの言葉を話す人がかなりいると聞いていたから、これは不思議なことではない。僕はカンボジアに入る数年前にタイを歩き終えていたおかげで、ほんの少しだけタイ語がわかった。
おまわりさんは、こんなところでなにをしていると尋ねていた。もっともな質問だとおもう。外国人旅行者ならこの国道を長距離タクシーで通過するため、ふらふら歩いている僕を怪訝に感じたのだろう。
おバカな歩き旅をタイ語と英語のちゃんぽんでしどろもどろに説明したものの、結局このバイクに乗るよう指示された。僕はふたりの警官に前後を挟まれた窮屈な格好、つまり3ケツ状態で、そこから25キロほど離れたアンドウン・テークという山中の町の警察署まで連行され、改めて尋問を受けることになった。
バイクのハンドルを握っていた小柄な男は、この警察署の署長だったんだと、あとでわかった。尋問に先立ち、署長は警察署の向かいでゲストハウスを営む若い男を連れてきた。こんなところにゲストハウスがあることにまず驚いたが、彼が英語を話せることにも驚いた。署長は彼を通訳として使おうという魂胆である。
しかしカンボジアの法律を犯したわけでもない僕が、なぜ連行されて尋問されなければならないのか、そこがよくわからない。イランで国境警備隊に連行されたときと同類の不満があり、内心ムッとしていた。しかしイランではそんな不満から反抗的な態度をとったことが災いして、結局ブタ箱にぶち込まれた苦い経験があったから、今回は平身低頭に構えた。自分に非があるとおもわないが、たしかに外国人旅行者がめったに行かないところを歩いていたわけだから、なにかを疑ったのかもしれない。しかし僕をなにかの容疑者だと決めてかかっているようにも見えなった。
ゲストハウスの経営者を通訳にして署長は1時間ほど僕を質問攻めにした。すべてに的確に答えたつもりだったので、そのうち自由にしてくれるだろうと楽観視していたら、案に相違してパスポートを取り上げられてしまった。
通訳の男は、
「今夜は警察がパスポートを預かります。夜はわたしが経営するゲストハウスに、自腹で泊まりなさいと、署長はいっています」
というわけで、イランのようにブタ箱泊まりではないが、一夜、身柄を拘束されることとなった。
どういう容疑なんだと通訳に尋ねても、自分にもわからないという。そういう説明がなかったそうだ。ただし過去にも似たケースがあったそうで、そのときは密猟を疑っていたらしい。
はあ?密猟?うーん、予想もしなかった。留め置かれた停電中のゲストハウスの室内で、ろうそくの明かりの下で地図を広げてみると、なるほど僕の歩いてきた国道48号線の海側一帯はペーム・クラソップ自然保護区と記されていた。そういや歩いている道すがら、ジャングルの中から聞いたこともない鳥の鳴き声が漏れ聞こえていた。なにか大型獣が潜んでいても違和感のない雰囲気もあった。もしかするとあのジャングルの中には貴重な鳥獣が生息していて、それを商売目的に密猟するヤカラがいるのかもしれない。
かりに容疑が密猟なら、僕はまったく心当たりがないので恐れることはない。
またカンボジアを旅行する外国人バックパッカーにありがちな例として、マリファナやアヘンなど麻薬関連が疑われるが、これに対しても潔白なので心配ない。
警察も、もし僕を根っから疑っているならばゲストハウスではなくブタ箱に留置するだろうし、その夜は署長や宿直の警官、署内の雑務をこなす近所の家族と一緒の食事にも招かれ、記念撮影もしたくらいだから、なにか重要な犯罪に関与している容疑者として僕をみなしていたとはおもえない。イランでのケースと違い、あまり深刻に考えないほうがいいだろうと判断した。
それでも翌日には約百キロ離れたココンへ署員を派遣して、僕が宿の部屋に残しておいた荷物を徹底的に調べ上げていたから、尋問だけでなく、なにかの悪事の証拠を探しだそうとしていたようだ。
結末からいうと、翌日、無罪放免。それだけでなく、この署長さんは僕の旅のよき理解者となってくれたのが心強かった。というのも、無罪放免後に本人からうかがったところでは、カンボジアの国道48号線を徒歩で旅行するなどという人間は前代未聞で、いくらカンボジアの治安が飛躍的に向上したとはいえ、まだ国内には銃器が蔓延しているし、内戦の置き土産である地雷の撤去が未完の地域もある。実は署内の警察官全員でアホな日本人をこの先歩かせていいものかどうか議論したそうだ。そして多くの署員は、危険過ぎるという理由で反対だったという。
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