人柄で判断してはいけない
今回のメールのやり取りから言えるのは、「インドの観光地や大都市で日本語で親しげに話しかけてくる男たちの多くは、何らかの下心を持った怪しい人間だ」ということです。ラージ氏のような狡猾な詐欺師かもしれないし、法外な値段で土産物を売りつけてくる悪徳業者かもしれません。
もちろんインドにも信用できる日本語ガイドはいるし、まっとうな商売をしている人もたくさんいます。けれど、そういう人たちは路上ですれ違った旅行者に「いま何時ですか?」とか、「安くて良いホテル知ってるよ」とか、「俺には日本人の奥さんがいてさぁ、つい懐かしくなっちゃって」などと声を掛けることはありません。「観光地で日本語で話しかけてくるインド人はとりあえず無視する」というのが、インド初心者にとってもっとも無難な対処法です。
ときどき「本当に親切な人と、親切を装った詐欺師を見分ける方法はありますか?」と聞かれることがあるのですが、僕はいつも「そんなものはない」と答えています。天才的な詐欺師というのは、誠実な印象を相手に与える術を熟知しているし、実際に話してみるととても魅力的な人物であることが多いのです。相手を引き込む話術に長け、嘘で作られた魅力的な物語を自分自身で信じ込むことができる。そういう「根っからの詐欺師」の嘘を見破るのはきわめて困難です。まずはそのことを肝に銘じておくべきです。
ラージのような「天才的な詐欺師」や「生来の嘘つき」に騙されないために、我々がやるべきなのは「相手を人柄で判断しないこと」だと思います。温厚そうな表情や、誠実そうな眼差し、波乱に富んだ半生を語る口ぶり。それだけを見ると「こんないい人が嘘をつくはずがない」と思ってしまう。しかし、それが落とし穴なのです。
難しいことかもしれないけど、「この人は嘘をつくような人物ではない」という第一印象を疑ってみることが必要なのです。そのうえで「見た目に表れる人柄」ではなくて、「客観的な事実」を手がかりに判断を下しましょう。つまりその人物が現れた「状況」を冷静に振り返ってみるのです。
多くの外国人旅行者が訪れるコルカタという大都市で、初対面の人が自分を選んで親切にしてくれる理由があるのか。他でもない自分をわざざわ実家に招待して歓待してくれる必然性があるのか。その出会いは本当に偶然なのか、偶然を装った計画的なものではないのか。
これは前にも書いたことですが、大都市や観光地で「無償の親切」を受ける可能性はきわめて低く、「親切を装った詐欺師」に出会う確率の方がはるかに高いというのが、残念ながらインドの現実です。
もし、インドでごく普通の人々の親切心に触れたいのであれば、コルカタやデリーやバラナシやジャイプールではなくて、「地球の歩き方」に記載がないような田舎町に行くべきです。それが難しいのであれば、「現地の人の親切は額面通りに受け取らずに疑ってかかる」という態度を貫くべきでしょう。
安全な日本とは違って、インドは魑魅魍魎の世界です。性善説で乗り切れるほど甘くはありません。簡単に人を信じてはいけません。
でも、あなたがインド旅に慣れ、誰もが行く観光地や大都市を離れることができれば、きっと「本当のインド」が見えてくるはずです。外国人を騙す悪い輩(それはインドという迷宮における門番のごとき存在なのです)を軽くあしらえるようになれば、実はインド人の大半が親切で温かい人々だという事実に気付くことでしょう。
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