全ての仕事に当てはまる。元自衛隊教官の流儀「正早安楽」とは

 

クボチビはスキー大好きキッズを育てる魔法

と言っても、私たちが「クボゲリ」で習うのは、もちろん銃ではなく、戦闘術 でもなく、スキーです。

今回は、22歳になる長男と一緒に参加しました。実は、息子たち二人こそ、久保教官の門下です。二人とも、まだ小学生になるかならないかの幼い時から「クボチビ」と呼ばれる特別講座で、久保教官に鍛えられたからです。

そのレッスンは独特です。よくあるように、先生が見本を見せて、ひとりずつ滑らせてという手取り足取りのレッスンではないのです。

カッコなどどうでもいいから、とにかく滑る滑る滑る。低学年も含む小学生たち10人ほどが、教官の後を一列になってすごいスピードでゲレンデを滑り降りる姿は圧巻です。誰もが目を見張り、度肝を抜かれるのです。何しろ、オトナもビビるようなコブだらけの急斜面にも、子どもたちは前を滑る仲間に負けじとぶつかりそうな勢いで飛び込んでいくのです。子供特有のライバル心も手伝って、スピードや斜面への恐怖もなんのその、気が付けば、どんな斜面でも滑れるようになってしまいました。

時には、ゲレンデ横の林に入り込み、ゲリラよろしく雪洞を掘っては、中に入って遊んだりもしたようです。それが、クボチビ流の休憩タイム。おそらく、子どもたちのはしゃぐ姿を見ながら、久保教官は自衛隊時代には決して見せなかったはずの笑顔を浮かべていたことでしょう。

そんな特別なレッスンを毎年受けているうちに、クボチビ門下の子供たちはみるみる上達していきます。

スキーには時間もお金もかかりますし、家族して教室に通うとなればなおさらです。わが家でも、スキーに行くのは年に1度、多くて2度。滑走日数は、せいぜい年に数日程度でした。それでも何年かするうちに、クボチビ門下生の多くはSIAジュニアのゴールドやセミゴールド検定に合格するまで上達したのです。

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高校時代にはスキー民宿の辛い住み込みバイトをしながら、大学時代にはスキークラブでしごかれながら、やっとこさ上達した私から見ると、久保教官はまるで魔法使いのようにも思えるのです。

実は、久保教官と私は、もともと不思議な縁でつながっていました。教官が所属するスキー教室、スキーエストの前身ナイスクの一教室、湯ノ丸教室で、私は学生時代にインストラクターの見習いをしていたことがあったのです。教室が違うため、教官と面識はありませんでしたが、2泊3日や3泊4日の合宿制で、受講生がみるみる上達するのを体感していました。私もイントラ見習い研修を重ね、先輩から教えを受けながら、初めてスキーを履く生徒さんが、3日後にはリフトに乗り滑って降りられるまでレッスンをしていたのです。

そんな経験 もあったので、長男が5~6歳になった時、ちょっと悩んだのです。私ががんばれば、子供たちにスキーを教えることもできるかもしれない。その方が安上がりだし、子どもとのコミュニケーションにもなる。そんな早合点をして、最初は親子レッスンに挑戦いたしました。

しかし、それは間違いでした。マンガ『巨人の星』で息子をしごくスパルタ親父星一徹のようにイライラして怒鳴ってしまいがちなのです。あのまま、私がコーチを続けていたら、きっと息子たちは二人ともスキーを、さらには私を嫌いになっていたことでしょう。元来、親は思い入れが強すぎて、自分の子供をうまく教育できないように神様が創ったのではないでしょうか。

今思えば、なんと浅はかだった私。はやく、自分の限界に気づいてよかった。やっぱり、プロに任せようと、ジュニアのレッスンがある古巣ナイスクの門を叩き、ありがたいことに久保教官に出会った のです。

久保教官の滑りをクボチビたちはワンライン(一列)で追いかけます。

久保教官の滑りをクボチビたちはワンライン(一列)で追いかけます。

独自のレッスンで、子どもたちを瞬く間にスキー好きにしてしまう久保教官。とてもかないません。教官のおかげで、子どもたちは、仲間と楽しく滑りながら上達していったのです。

こうして、二十歳過ぎても、子供たちがスキーを続けてくれて、いい年した親の趣味につきあってくれるのですから、こんな幸せなことはありません。

今回、久保教官は、レッスン中に「私の目標は、家族みんなが滑れるようになって家族スキーが楽しめるようになること」とおっしゃっていました。まさにわが家では、そんな夢のようなことが実現したのです。なんと感謝すればよいでしょう。

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