「引きこもり」という言葉を安易に使った行政
川崎市の対応にも問題があるように思う。報道では、今年1月に伯父夫婦が市の訪問介護を受ける準備が始まり、スタッフが家に入って岩崎隆一と接触することを恐れた夫婦が、隆一に対して文書で説得を始め、その過程で隆一が「引きこもりとはなんだ」と逆ギレしたという経緯が紹介されている。
全体の状況は理解できるが、どのようなやりとりの詳細だったのだろう。重要なことは、もしこの一件がなければ、今回の事件は起きてないだろうということである。
もっと踏み込んで言えば、行政が、このように「引きこもり」という言葉を安易に使って事務を処理してはいけないということで、デリケートに接することが必要だということである。
伯父夫婦は、隆一を「あまり刺激したくない」と言っていた。
明らかに行政側の「引きこもり」の言葉が隆一を傷つけていて、そこから、自殺、通り魔の巻き添え犯行という惨事へ発展している。
家の中にいる「引きこもり」がこうした言葉に刺激されて絶望から殺人鬼に豹変し、ソフトターゲットをテロする大事件に繋がることを、行政は教訓にしなければいけないだろう。
会見で説明に出た川崎市の市官僚は、その危険な真相について全く自覚がないようだった。
「引きこもり」という言葉の破壊力
「引きこもり」という言葉は、それを言われる方からすれば、全人格を否定される不当な決めつけであり、侮辱と差別を感じるレッテルだろう。
川崎市の市官僚は、その言葉を衒(てら)いなく使い、会見でも説明のキーワードにして振り回していたが、その態度は冷血冷酷で、事件の真実についてセンシティブな考察がない。関与した責任の一端があるという反省がないものだ。
実際に、岩崎隆一と同じ境遇とにいる者が全国に無数にいて、似たような状況で苦悩している家族の現場が無数にある。
そこに刺激となる言葉(差別語・侮辱語)が発されて着火すれば、人を悪魔に変え、恐ろしい事件を誘発するのである。
事件は連鎖していく…
現実に、今回の事件の報道が刺激要因となり、次々と惨劇が発生してしまった。
登戸の事件から4日後の31日、福岡で40歳代の引きこもりの男が家族を襲い、母親と妹に重傷を負わせ、本人は割腹自殺して市営住宅に放火した。
「仕事をしなさい」と母親が言ったところ、口論になって逆上したとある。明らかに登戸の事件が刺激になっている。