宗教ビジネスは、実は「貧困ビジネス」であると知れ
さらに、付け加えることがある。それは、この神も仏も信じないというスタンスは「何も持たない人であればあるほど徹底しなければならない」ということだ。なぜなら、そういった境遇の人ほど、生き延びるためにたとえ小さな金であってもそれが大事だからである。
何も持たない人というのは、貯金もなく仕事も不安定で這い上がれるかどうか分からない人たちを指す。
非正規雇用が増えて日本人が貧困化していく今、ほとんどの日本人はそうした立場に置かれているとみてもいい。つまり、今や普通の人の多くが当てはまる。
そんな何も持たない人たちにとって、役に立たないものに払う金は1円もない。「信じさせて集金するシステム」の宗教は、役に立たないものの筆頭だ。
宗教ビジネスは、実は貧困ビジネスでもある。
夢も希望も失った人に、「信じれば報われる」「信じれば救われる」「信じることによって金持ちになれる」と夢を見させて金を毟り取るのが宗教ビジネスだ。
では、夢も希望も失っている人というのはどこにいるのか。それは貧困層の中である。だから、宗教ビジネスは金を毟り取るために金のない人間のところに行く。
そして「信じれば金持ちになれる」と吹聴して、その気にさせて落とす。いったん宗教に引き込んだら、人間性を破壊するほどの洗脳を施して鵜飼いの鵜のように金を吐き出す存在に堕としていく。
「金を預けてくれれば、1年間で2倍にする」という胡散臭い詐欺セールスには「そんなうまい話などあるはずがない」と常識が働く人も、「信じれば良いことがある、金持ちになれる」という宗教になぜか無防備だったりする。
「信じれば金持ちになれる」というのは、それこそ根拠も理屈もない抱腹絶倒レベルの「うまい話」なのだが、なぜかそういった与太話を与太話と想わない無邪気な人がいるのである。
「信じたい」という感情が理性を圧倒する。なぜなら、弱肉強食の資本主義の中で叩きのめされており、もはや夢も希望も失ってワラをもつかむような心境になっているからだ。