発展途上国に典型的な「飢え」の成り立ち~インフレ型貧困とは
国内の「生産」が不足し、国民が飢えに苦しむという形の貧困を、筆者は発展途上国型の貧困と呼んでいる。あるいは、インフレ型の貧困だ。
国民が飢えに苦しんでいるとはいっても、農業生産が不足しているとは限らない。農村で生産された食料が国民に届くためには、農家以外にも複数の生産者が「労働」をする必要がある。
読者はスーパーマーケットで野菜を買うとき、「農家が生産した野菜を買った」と、認識するだろう。
とはいえ、現実にはスーパーの棚に野菜が並ぶまでには、農家はもちろんのこと、野菜を仕入れた卸売業者、野菜を運んだ運送業者、野菜を消費者に売った小売業者など、複数の生産者による付加価値(モノ、サービス)の生産が行われているのだ。
すなわち、読者が野菜を買うと、農家や卸売業者、運送業者、小売業者など、複数の生産者に「所得」が生まれる。
野菜一つとっても、農地から国民の手元に至るまで、付加価値の「鎖」が連なっているわけだ。何らかの理由で、鎖の輪が一つでも欠けてしまうと、国民の元に野菜は届かない。
例えば、国内の道路インフラが未整備で、農産物を農村から都市部に運ぶ術がなかったとしよう。その場合、どれだけ膨大な農産物が農地で生産されていたとしても、国民に届けられることはない。
あるいは、交通インフラが整備されていたとしても、トラックがなく、ドライバーもいないのでは、結局、消費地に農産物を運ぶことはできない。農産物は、農村でいたずらに腐っていく事態になる。
インフレ型貧困に陥っている国は、農産物の生産が不足しているとは限らないのだ。消費者の口に農産物が入るまでには、様々な生産者の労働や投資の結果としての固定資産(道路、トラックなど)が必要になる。
発展途上国の多くは、人材としての生産者や、投資の蓄積が不十分で、付加価値の鎖が脆弱なのである。結果的に、国民が飢える。